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性同一性障害って何だろう?
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2007年06月16日

個人年表/二ノ宮

自己紹介の前に一言!!
僕は、日本の教育システムの失敗作でしょう(笑→人のせいにするなっ!爆)
それに気が付いたのも最近のこと(遅っ!!)

僕は皆勤賞を取ってしまうほどの学校好きでした。
なぜ失敗作なの?と問われると、
僕は成績なら良かった。
しかし!!
僕は2桁の暗算できません!
英語の単語も読めません!
漢字もろくに書けません!
世の中のシステムすら解りません(笑)
そう、僕は薄っぺらーーい人間なのです。
楽天家の平和ボケ。嫌なことは全部、夏のせいにしときます(笑)

GIDの問題を中心に語ると、
どうしても大変だった過去が浮き彫りになって、
偏って伝わってしまいます。

でも実際の僕はどうだろう?嫌なことばかりだったか??
そんなに努力していたか?
確かにGIDって問題は大きな壁だったけれど、
コンプレックスや悩みは誰もが抱えて生きている。
僕のひとつの側面でしかないんですよね。
僕は過去も大事にしたいし、未来はより楽しいものにしたい。
そんなダメ人間の僕が歩んできた道程です。


自営業(飲食)の子供として誕生。
▽3歳
保育園に。昼寝が嫌いで、目は開けたまま時間が経つのを布団の中でひたすら待つ。
▽5歳
ピアノを習わされるが、鍵盤が重いという理由をつけて逃亡。
がっ…!!その後、鍵盤は軽いので、エレクトーンに変更させられる。両手両足は無謀なので逃亡。
▽7歳
小学校入学。友だち100人できるかな?と思っても同級生100人以下…笑
父親が突然の病死。人の死は父から教えてもらった。
▽8歳
実家の店の手伝いをするとお駄賃でジュースを買えた。
自動販売機で毎回「赤まむし」ドリンクを購入。(精力パワーアップ!!笑)
▽9歳
スイミングスクールに通うも、バタフライの練習で溺れそうになり逃亡。
▽10歳
スポーツ少年団に入る。サッカー、陸上、ミニバスに燃える。
ヤクルトスワローズの熱狂的ファンになり、ユニフォームを着て、メガホンを持ち、
ラジオの前で応援を繰り返す。もちろん点が入れば部屋の中で傘を広げる。(アホかっ!)
▽11歳
ヤクルトスワローズの応援団になりたい!!という野望を持ち、吹奏楽クラブへ。
トランペットを担当するが、その後応援団は職業ではないことを知る。(しっ…知らなかった。。)
▽12歳&小学生まとめ。
サッカーのクラブチーム。地域のポートボール。少年団でのサッカー&陸上&ミニバス。習字。吹奏楽。塾。超多忙な毎日を繰り返す。人に仕切られるのが嫌で、日々の作業も面倒なので、学級委員の常連でした。(学級委員って実は、一番仕事が楽なんだよ。笑)

▽13歳
中学校入学。
某夏バンドのギタリストに憧れ、「サッカーは辞める!!ギタリストになる!!」と突然、親に宣言し、お年玉を握り締め、エレキギターを購入。しかし!!Fコードで挫折。(よくあるパターン。笑)笑顔の可愛い高校生に初恋するも、全く相手にされず。撃沈。ちーん。
▽14歳
先生達に根回しされ、なぜか生徒会長に。制服着ないし、説得力ないし〜アホな会長。笑
将来の夢は、教師か音楽関係の仕事に就くことだった。
▽15歳&中学まとめ
ソフトボール部のキャプテンとして一応、地元では優勝&準優勝を果たす。
手紙や写真なんかをたくさん貰い調子にのる…
しかしっ!!小心者のチキン野郎の為、何もできず…。サラバ!!俺のモテ期…涙。
部活とサッカー中心の生活。とりあえず、目立ちたがり屋の仕切り魔でした。
卒業式に「答辞」を。(自分の言葉に自分で泣いた。笑 どんだけ〜〜。)
通っていた塾がかなり楽しくて居残り12時頃まで勉強?いや、遊んでいた。

▽16歳
高校入学。サッカーのクラブチームを辞め、高校サッカー界へ。
部活に青春を捧げる。1日5食(←食いすぎ!!爆)
大学へ行きたかったので特別進学コースに所属。
7h授業、朝から英語の単語テストには参った。
▽17歳
遠征、試合の日々。先輩達の努力により、一緒に全国大会も経験。僕は足も遅いし、体力もない!!更にサッカーセンスの欠片もないけれど、気合いと勢いだけで(笑)その後キャプテン、県選抜としてもサッカーライフをエンジョイ!(ご迷惑をおかけしましたー笑)
▽18歳&高校まとめ
お笑いにハマる。オールナイトニッポンへ葉書を投稿しまくる(暗っ!!)
ネプチューンにハマり、その後ネプ投げに萌える!!
フェニックス!!バックボイン♪(低レベルのエロ)
高校時代は部活と勉強の想い出しかありませーん!笑 恋のネタもありませーん!
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2007年05月13日

ファッション・髪型/二ノ宮

5月はファッション・髪型というテーマに沿ってですが…。
実は一番、困るネタです。笑
…というのも僕自身、ファッションセンスが??謎。
好きなブランドも1つ2つあるぐらいで、その他はさっぱりわかりません。
仕事中心の生活をしているので、動きやすいものが一番なのです。
洋服も最近は人から貰ったり、交換したりで購入することも少なくて。
でも、ファッションについてたまには考えてみます。

子どもの頃から男物の服を親とケンカしながら買ってもらって。
髪型もとにかく短く!!スポーツ刈り、ウルフ、なんかで通学していました。
えっ?それでイジメの対象にならないの?と思うかも知れませんが、要はキャラで通す!!
(そう考えると服装のハードルはFTMの場合、低いなぁと感じます。好きなものを着用できますから)
MTFの場合、すぐにでもスカートを履きたい!!って思う方もいるとは思いますが、
世間の空気を考えると、突然スカートに進むよりは、
自分に似合うパンツを選びながら、中性的な格好に移行してみる。
それが馴染めば、人柄も作用して、自然に女性物も受け入れられていくのかなーと僕は感じます。

次に髪型ですが、パスができていない場合、
美容室にいったとき、戸籍上の性別の雑誌を出されてしまう…
そんな微妙な気持ちを抱えている人もいると思います。
でも、思い切って、FTMならば「メンズの雑誌にして下さい」と言ってみてはどうでしょうか?
美容師さんって性に対する価値観がラフな人達が多いですから、
受け入れてくれる人達がたくさんいると思います。
そこで髪も切れて、自分の自信になったら一石二鳥ですよね!!
微妙な扱いを受けたら、二度と行かなければいいですし、美容室は自分で選べますから。
美容師さんも仕事ですから、どんな注文であれ、
最終的にお客さんが喜んでくれたら嬉しいと思います。
そして、美容師の皆さん、もし、男の子かな?女の子かな?なんて
ひっかかる空気を感じる子がいましたら、
ぜひとも、メンズ&レディース両方の雑誌を提示してあげて欲しいと思います。
その子の理想の髪型に近づけば、きっと喜んでくれ、また来店してくれますから!笑

僕の場合は、近所に知り合いのお兄さんが美容師をやっていまして。
子ども時代から思春期の頃にかけて、いつも切ってもらっていました。
他の美容室では、女の子ということを知られると、
変に気を使われて、短くしてくれなかったり、不満だらけだったのですが。
(FTMでは経験あるんじゃないでしょうか?セットで妙に可愛くされたりね。笑)
中学生の頃「お兄ちゃんだけだよーこんなに短く切ってくれるのは!!」って喜びを表現してから、
メンズ雑誌を出してくれ、一緒にカッコいい髪型を探すようになりました。
きっと僕が喜んでいることを知って、自然にジェンダーバイアスを取っ払ってくれたのだと思います。
そのお兄さんは、「男の子になりたいの?」「もしかして女の子が好き?」と聞きながらも、
バシバシ切ってくれました。
今でも実家に帰省したときには、ときどき挨拶がてら利用しています。
特にカミングアウトはしていないけれど、空気で伝わっているみたいです。笑

高校生になると自分の行動範囲も広がり、いろんな男友達に出会い、
メンズ服への拘りや短い髪型への拘りは消えていきました。
正直、飽きた。笑 しかも、似合っていない。笑 
体のラインを気にして、ゆるーい感じの服を着ていたときもありましたが、
それも自分には似合わない。
現在では、胸を潰すためのシャツも色んなタイプが売っていますから、
それを利用してみることはお勧めです。


今は…う〜ん。
時々、人から「ギャル男みたいな格好しやがって!!」と
言われたりしていたのですが…笑。僕はそんな気もなく。
たぶん、僕は身長が160cm(いや…正確には159cmだけど…笑)なので、
やっぱりメンズ服となるとサイズがギリギリなんですね。
そっち方面の服はサイズが小さいものがあって僕の体にぴったりなのです。
スーツも細身のタイプがたくさんありますから。
髪型もここ数年、長いしなぁ…。
今は、女物の服でも自分に似合っていれば、着用してしまうし。
色も黒や紺、茶色がメインですが、あれほど嫌いだったピンクもたまには着ちゃいます。

治療前ということもあり、服装や髪型でどれだけ男の外見を保てるかということは、
僕にとっては重要なことだったのですが、
今はそれが自然にクリアーできるようになったので、
服装もそれほど気にしなくなったのだと思います。
それはなぜだろう?服装はむしろ女物を着ているのになぁーなんて思うのですが…。

自分に自信がない頃は、いくら男の服を着ていても、
挙動不審な行動から?あれ?女の子?と見破られてしまうことの方が多かったのだと思います。
たぶん、男らしさを勘違いしていて、仕草があきらかに不自然だったのでしょう。
「男=短髪」「女=ロングヘアー」ってジェンダーイメージもありますけど、
そうすれば望みの性に見えるもんでもないですし。
自然体や自分に似合う服装を探すって難しいことですが、
楽しみながらチャレンジしていきたいですよね。

僕も失敗を繰り返した。
あっ…やべぇ〜今日の服装はパス度がイマイチだ…なぜだろう?
って考えて、変化させて、自信をつけていく。
失敗しなければ、学べないですからね。
そこで落ち込むんじゃなくて、良い方向へ進めるように工夫していけばいいのだと思います。

僕は、そろそろ20代も後半。
歳相応の服装・髪型へとシフトチェンジしなければなぁーと最近は考えています。
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2007年04月08日

修学旅行・宿泊/二ノ宮

学生生活を送る当事者から、時々、風呂や部屋割り等の問題で修学旅行に行きたくないと
悩みを打ち明けられることがあります。
1〜2泊のことですが、思春期の当事者にとっては、簡単に割り切れないことでもあるのです。

僕の修学旅行は、楽しい想い出が多かったです。
また宿泊研修や部活の遠征などで、学生時代には泊まることも多々ありましたが、
嫌なことだけに目を向けるのではなく、
それよりも楽しいこと、やらなければならないことを大切にしました。

風呂の問題は、とりあえず、速攻!!(笑)
罪悪感と自己否定の感情が、その時間帯の僕を追い詰めましたが…。
それでも、思い出に残ることはやっぱり楽しいこと。
全てに参加して良かったと僕は過去を振り返っても自信を持って言えます。
ただ、女子の部屋に忍び込む〜みたいなことはやりたかったな…
僕の場合は、先生達公認の下!?初めからそこに居るんですから(余談…笑)

さて、「修学旅行」といえば、僕には忘れられない事件があります。
それは小学校の修学旅行2日前の朝のことでした。
僕に予期せぬ出来事が降りかかります。
2次成長、女の象徴でもある「生理」の始まりでした。
(<生理>ということに対しては、僕が乗り越えることが未だにできない問題のひとつで、この言葉を書くことさえ、まだまだ葛藤があることも事実です。)

そんな話を説明されていても、他人事に受け止め、
僕にはないなーという自信を見事に打ち砕かれる出来事でした。
自分でも現実を受け止められない、
親にもバレて、「ちゃんと先生に話しなさいよ」と言われる。
そして、まさにその日、女子だけが体育館に集められるという
ミラクルな運命の巡り合わせまで僕に降りかかったのです(苦笑)

先生が「生理の人は手を挙げて。恥ずかしいことじゃないんだよ」と聞く。
えっ?この場で??みんなの前で??
誰にも知られたくない…だけど、いきなり宿泊かよ…不安だ。。
迷い悩み、数分で辿り着いた結論は、その場で言うこと。
しかも僕のキャラ的に恥ずかしがったり、こっそり手を挙げることができなくて、堂々と挙手をしたのです。

当時、男のジェンダー街道を突っ走っていた僕の予期せぬ出来事に
同級生全員が驚いて、先生達も驚いて、
僕は心を隠し、ひたすら明るく取り繕いました。

その間に、一人の先生が衝撃的な言葉を放ったのです。
「二ノ宮!良かったね!!先生、あなたが本当は男の子じゃないのかって、
ずっと心配していたんだよ。女の子で良かったね!!」と。
結果として僕は全員から大拍手と「おめでとう!!」の言葉を貰うという
またしてもミラクルな、女性でも経験できないだろうことを体験してしまったのです(苦笑)

全ての否定的な感情が湧きまくり、
でも「ここで泣いたら男じゃない」という変なプライドがあの場にいた僕を支えてくれました。
ただ、さすがに辛すぎて、解散した後、一人で体育館裏で泣きまくりでしたが…。
(小6にしては頑張ったと当時の自分に拍手を送りたい。笑)

学校の状況が現在どうなっているのか、まだ把握はできていませんが、
こんな経験を通して、僕が教員に伝えたいことは、
・「その場で挙手しなさい」ではなく、「後で自分で伝えに来なさい」でも良いのではないか?
・部屋の風呂が大抵設置されているのだから、時間などのルールを守ることさえすれば、
 それを自然に利用できる環境を作ってもいいのではないか?
ということです。
GIDの問題に限らず、様々な場面でこのような考え方は適応できるのではないかと思います。

また精神的性別で生きている現在、親しい関係の人達とは旅行に行くこともあります。
数人で行く旅行には、<温泉>がある場所が多く、
それが原因でカミングアウトをしていたとしても、
その旅行自体を遠慮してしまう当事者も少なくありません。
「だって…温泉は入れないし、行ってもつまらない」と。

僕がまだ温泉に入れないことを知っている友人達は、
気を配って、ホテルに泊まるなど、温泉以外の場所を探そうとしてくれていたのですが、
僕は、「温泉行こうよー」って言っちゃいます。
もちろん、友人が入れないから別の旅行にしよう!って発想は悪くはないと思うけれど、
誰かができること、できないこと、好きなこと嫌いなことがあってもいいじゃない!?と思うのです。
それでも一緒にその空間を楽しめる。
そんな時間を僕は大切にしたいから。
温泉以外の楽しみなんていくらでもありますよね?
入れないからつまらないのではなく、他のところに目を向ける。
「修学旅行」も何でも、自分自身が楽しもうとしなければ、
楽しく過ごすことなんてできない。
自分のコンプレックスを考えの中心に置くのではなく、
どうしたらもっと楽しくなるのか。
そんな発想を僕は探していきたいと思っています。
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2007年03月05日

3月テーマ「入学・新生活」/二ノ宮

新生活は、期待と不安が入り混じる人生のひとつの転機だと思います。

ところで、皆さんは、友達が欲しいですか?
僕は、友達が欲しいです。人と喜怒哀楽を共にしたいです。
僕の性格は、人とワイワイやっていることが好きだから、
人との繋がりを大事にしたいと思っています。
ですから、今回は、学校の新生活(主に友人関係)に的を絞って書きます。
僕は、保育園→小・中学校→高校→大学→専門学校という学校生活を経てきました。

小学生から中学生にかけての僕は、
男と遊んで、女と遊んで、いつも男女の間を駆け巡っていました。
しかし、一方で男と女の距離が思春期に入ると少しずつ変化していくことが冷静に見えました。

僕の思春期、心と体はアンバランスのまま成長していきます。
それが苦しくて、自分だけ置いていかれた気分になったり、
楽しく笑っていても、心から笑えない時期があったことも事実です。
しかし、僕は楽しいことが好きで、人と距離を置くことは止めました。

高校に進学しても、素の自分のまま、クラスでも男友達と仲良くなり、
昼飯も男友達と食べていました。
そんな生活を送っていたので、周りがどう感じていたかは知らないけれど、
男性女性との間に距離を感じることもなかったのです。
もちろん、声変わりしないとか、男女別の生活など
そういうものに関しては、虚しい想いは抱えきれないほどあったけれど、
友達との距離を変に意識することなく、楽しく過ごしていました。

しかし、大学へ進学が決まった頃のことです。
僕の人間関係の失敗は、自らが作ってしまった壁によって発生しました。

アルバイトも始め、少しずつ社会というものが見えてくるようになり、
僕は完全にビビッてしまったのです。

自分が何者なのかさえ解らない。
僕はやっぱり変なのか…ヤバイなぁ…
新しい環境じゃ引かれてしまうかな…今までみたいにはいかない。
女っぽいとこを出して、周りを安心させなくては…
と、自分で勝手にイメージを作り、思い込み、新生活へ突入してしまったのです。

ここで問題です。男性に問います。

今日1日だけ、女性として、生活してみて下さい。
そのときに男であることが絶対にバレてはいけません。
と言われたらあなたならどうしますか?

服装は女性物を身に付ければいいでしょう。
メイクをしても良いかも知れません。
しかし、仕草や口調、素の自分のままでいられますか?
あれ?女ってどんな話し方をして、どんな思考なんだっけ?と考えてしまいませんか?
世の中には、あなたと同じような性格や思考を持った女性も存在するはずなのに、
男ってことがバレてはいけない場合、変に女性ってことを意識せざるを得ないかも…と感じませんか?

あのときの僕は、まさにその状態でした。
いざ、「よし!女になろう!女として打ち解けた方がいい!」と決めた途端、
コミュニケーションが全くとれない(笑)
女性物のスーツに身を包み、軽くメイクなんてもんにも挑戦しました。
周りは僕のことを男性だとは思わないでしょう。
しかし、僕には、女がどう話して、どんな仕草で過ごしているのか、さっぱり解らない(笑)
「自分らしく」なんて思ってみても、
「女性」としてそこに存在していること自体、
僕にとっては「自分らしく」ではなかったのです。

大学へ入学してすぐ、学科の男友達3人に誘われ、夕飯を食べる機会がありました。
今なら、カミングアウトをしています。
しかし、あの時の僕には言葉は見つかりません。
本当は男と今までのように仲良くやりたい、
しかし、無理に女としての生活をしようとしていたから、本音は言えない。
そこで女友達のことを聞かれました。
それを答える僕は、完全にスパイ気分です(苦笑)
仕方ないと言い訳を並べ、自分を誤魔化し、周りも騙し、
女性として存在する僕は、本当にカッコ悪かった・・・。

ただ、幸いなことに、スポーツの学科だったので、
結局は、僕の素を出せる環境でした。
「オマエのボーイッシュは男だよ」と周りからネタにされることも多くなりましたが、僕にとって居心地は良かった。
男女共に仲良く過ごせる仲間がそこにはいました。

それから自分のことが解って、みんなにもカミングアウト。
周りは僕のことを理解しようとしてくれました。
ただ、一度ついてしまった女のイメージを消すことはなかなか難しいのが現実です。
僕は、約2年間も自分を誤魔化した生活を送ってしまったので、
その距離を縮めること、変化させることには時間が必要でした。

しかし、この生活があって、僕は女としては生きていけないと再確認することができたと感じています。
本当に悩んで、苦しんで、あの頃は、毎日、頭の中がぐちゃぐちゃでした。
でも、一体誰が悪いのか?周り?環境?世の中の価値観?
違います。僕が勝手に、悪いイメージを作っていたことが原因です。
結局は、自分で蒔いた種、自ら飛び込んでいったんですよね(笑)

大学での失敗を教訓に、
専門学校へは、最初から自分を誤魔化さず生きていこうと考えました。
周りが性別不明の僕をどう感じていようが、朝、笑顔で挨拶をすることを心がけました。
あいつよくわからん奴だけど、いい奴そうだな…最初はそんな単純なものでいいのだと思います。
無理せず、飾らず、自然体で…僕は男友達を作ることに徹しました。
「性同一性障害」という難しい単語を並べるよりは、
自分で壁を作らないで、自然にご飯に誘ってみたり、遊びに誘ったり、
そういう中で人間関係が生まれてくるのだと思います。
独りぼっちで座っている男にも声をかけて話してみることもありました。
戸籍上は男じゃないから…とか、自分に劣等感を持たないで、
コミュニケーションを図り、早い段階でカミングアウトしました。
あとは、ゆっくり時間をかけて、お互いのことを知っていけばいいのだと思います。
結果として、僕はかなり楽しい学生生活を送ることができ、
男子生徒として通学することもできました。

現在、存在している場所が、
大学時代の僕のように自分を誤魔化している場所だという人もいるでしょう。
そしたら、もう1つ新しい居場所を自分で作り、
そこで自信をつけることも、ひとつの方法かも知れません。
性同一性障害を理由に人と壁を作らず、劣等感を持たずに、行動してみれば、
意外とありのままの自分で生活できる環境は作れるのだと思います。

外見や戸籍、名前を気にしてばかりで、人と距離を作ってはいませんか?
自分は性同一性障害だから…と言い訳を並べたり、自分を特別視してはいませんか?
新生活というものは、きっとほとんどの人が、度合いは人それぞれだけど不安を抱えていると思います。
そして大半の人は、人と繋がりを持ちたい、友達が欲しいと思っているでしょう。
だからこそ、逆にチャンスだと僕は思います。
あなたは自分をどのように表現しますか?
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2007年02月07日

「就職・面接」/二ノ宮

僕は現在、飲食業に就いている。
人との繋がりで今の職場にいるので、
一般的な就職活動というカタチではないけれど、
望みの性別で働くことができ、就労における性別の悩みはない。


数年前、初めて就職活動をしたときは、
まだ、望みの性での生活を手探りでスタートしたばかりであり、
自分に自信がなかった。
アルバイトをするのにも、仕方ないとあきらめ、
体の性のまま、自分を隠して仕事をしていた。

仕事の条件は、服装が自由か、男女同じであること。
男女で作業内容が変わらないことだった。
あとはキャラで乗り切り、楽しく仕事はしていた。
仕事ということに関してはたくさんのことを学べたが、
自分自身を隠していては、適当な人間関係しか結べなかったと反省している。

その後、アルバイトは女性として始め、ひたすら一生懸命にやる。
仕事を通して、自分自身を認めて貰えたら、途中でカミングアウト。
社員の人は真剣に僕の話を聞いてくれ、通称名で働く等、笑顔で対応してくれた。

やれる!と思ってからは、履歴書には通称名。
男と女の欄にはあえて、○を付けなかったり、望みの性に○をつけたり。
備考欄に本名とGIDであることを記入して、男性として働かせて下さいと一言添えた。

それまでは、一度も落とされたことのなかったアルバイトの面接。
やり方を変えた途端、いくつか落とされた。笑
しかし、続けていれば、必ず採用してくれるところはある。
結果として、そこが自分にとって働き易い環境になることは間違いない。
そのとき、社員の人から言われたことは、
「チームワークを大切にしている。聞かれたら説明できる?」
僕は、隠している訳ではないから、必要だと感じたときはしっかり話をします。
このことで問題になることはないですと笑顔で言い切った。
辞める際、「初めてのことだから、最初は不安だったけど、雇ってよかったよ」と言われたときは心から嬉しかった。


就職活動は悩んだ挙句、『自分自身を隠して面接をするのは無理だ。
その後どうするの?どうせ隠せないんだから、最初から言ってしまおう』と決めた。
履歴書に戸籍とは違う性別や名前を書くことは嘘をついているように感じる僕がいたが、
友人の言葉が僕の価値観を変えた。

「通称名だろうが、戸籍が女だろうが、今の名前で生きていて、男として自信持って生きているんじゃん。だったら堂々と履歴書にも今の名前を書いて、男に○つければいい。何が嘘って、自分の心を隠して履歴書に書く方が嘘じゃん。そこで誰が働くの?今の自分自身だろ?」
僕の心に突き刺さった。何が嘘って、戸籍や身体、名前を気にしてばかりでいて、誤魔化そうとしていた僕の方が嘘じゃないかと。話せばいい。知って貰えばいい。
こうして僕は、備考欄に戸籍上の名前を書き、「性同一性障害」であること記載する手段を取った。

結果として、落ちまくった。笑
ハローワークで、電話越しにカミングアウトすることもあった。
派遣の仕事でネット応募するのに、男性として登録した時は何通かのメール連絡があったのに、心と戸籍上の性別は一致していないと一言添えると1通のメールさえこない。笑
この違いはなんだー!?

それでも、履歴書に正直に記入した会社でも面接をしてくれる企業はある。

学校を通じて、直接紹介して貰った企業も何件かあった。
知人からも、GIDというものが不採用の理由のひとつであることも聞いた。
しかし、僕自身はそうは思っていない。
もちろん、上記の派遣社員の件は、
GIDを抱えていることが不採用の理由かも知れない。

しかし、同じ未経験者でやる気がある人間なんていくらでもいる。
僕はその人たちと企業側が比べたときに勝る要素が不足していたから落とされた。
ただそれだけのことだと思っている。
僕がGIDを抱えていようが、誰にも負けない熱意や、例えば資格があったり、多くの人生経験を積んでいれば、それをカバーできる人間的魅力があったはずだと思っている。

人によっては、GIDを抱えていること、それを公表して就職活動することは不利になることだと捉えている人もいるだろう。
わざわざ自分の病気や障害のことを面接時に話す必要性があるかと言えば、すべてYESではないからだ。
しかし、面接時に性別というものが、外見や名前、書類で判断されてしまうのなら、さらけ出して勝負した方がいいと僕は思っている。

企業や世間が本当に冷たいのか?僕にはそんな風には映っていない。
僕自身、また当事者自身がGIDを理由にして壁を作っているのではないか?と考えることが多々あるからだ。
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2007年01月13日

2007年の抱負/二ノ宮

スタッフの二ノ宮です。今年もよろしくお願い致します。

2007年の抱負。
<想いをカタチにしていく>

去年はNPO法人GIDmediaを設立することができました。
想いがあっても、カタチにすることが困難な中、
まず、スタートラインに立てたことは嬉しいことです。

2007年は、教育従事者へ向けての勉強会や講演を中心に活動していきます。
今年は多くの人の前で、話すことや意見交換の機会が増えます。
セクシュアリティについて悩んでいる未成年の人達が
少しでも過ごしやすい環境を整えていきたい。
性同一性障害を抱えていたとしても、
楽しい思い出がたくさん残る学生生活を送って欲しい。
そんな単純な想いをカタチにするために
手探りながら、2007年は活動していきます。

今回は<想いをカタチにする>という抱負のもと、
僕の想いを言葉にします。

カミングアウトしたとき、どう接していいのかわからない。
どう扱っていいのか解らないと疑問を持たれる時があった。
逆にカミングアウトしていない場合、一人の男性で済むことが多かった。
この違いは性同一性障害を持つ人=「特別な人」という先入観が根底にあるのだと思う。

一人の人間と出逢ったときに、その人とどう接していくかということは、
誰もが自然に行っていることであり、
本来はそこに性同一性障害の問題があろうがなかろうが、大した問題ではない。

ただ、多くの人が、初対面の時から「性別」というものを無意識の内に認知しているので、
外見と戸籍上の性別が、また外見と本人の性自認が一致していない場合、
上記のような疑問が起こるのだろうと僕は思っている。

GIDmediaの活動は、初めからカミングアウトして人と接しているのだから、
自分達から壁を作っていると捉えられる可能性もある。
「僕は性同一性障害者です」と自ら最初に伝えているのだから。

確かに、最初は壁があるかも知れない。
しかし、僕は、その壁をどうやってぶち破るかが大切で、社会や個人にある、
その「見えない壁」が壊れたときこそ、根本的な解決に至るのだと思う。

どう接していいのか解らないのであれば、その疑問が解けるまで付き合えばいい。
どこまで踏み込んでいいのか解らない、これを聞いたら相手を傷つけるのではないかと憶測を立てていても、
話すことなしには解決しない。
結局、一人の人間と関わっている…それだけに過ぎない。
「見えない壁」はお互いが作り出していることに気づく。

僕は性同一性障害は、自分自身の身体への嫌悪感や違和感から生まれる障害と、
社会との関係の中で生まれる障害の2つで成り立っていると考えている。
前記は、個人で治療などを通して解決するしかないのだが、
後記は、当事者との関わりの中で解決できるものだと考えている。

GIDmediaの活動は、この後記の部分に働きかけている。
特に、身体的治療ができない未成年の当事者を少しでも楽にするには、
彼ら、彼女らをとりまく環境を整えていくことが必要なのだ。

僕はその「見えない壁」をぶち壊せるだけ壊したい。
身体的な治療に進めていない僕でも、
環境によって望みの性で生きることが可能なのだから。


また、団体の在り方の僕の考え方として、
GIDmediaを当事者だけで構成される団体にしたくはない。
当事者も非当事者も共存して、
ひとつの目的を達成できるような活動をしていきたいと考えている。
いろんな人達の協力を得ながら、内向きだけではなく、外へと踏み出したい。
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2006年12月10日

親へのカミングアウト/二ノ宮

親への初のカミングアウト。
それは、今考えれば、ただの押し付けだった。
苦し紛れの言葉を並べただけで、当然、何も伝わらず、
「あんたを殺して私も死ぬ」とさえ、言わせてしまった。

僕は母子家庭で育った。
母親は、誰にも打ち明けることはできない。
自分が長年苦しんできたことを、
結果として、親にも一人で背負わせるという現実は、
想像以上に厳しいものだということを痛感した。

数年後、カウンセリングへ通っていたことを、
保険証の関係で知られ、もう一度、話し合うことになった。
手紙、メール、話し合い、本を送ったり、何度も繰り返している。
現在では、僕の生き方を認めてくれてはいるが、
未だに揉めることも多く、根本的な解決には至っていない。

最近では、自分自身の生活が安定して、親の想いを考える余裕も生まれた。
親にも、親のペースがある。
世間体ではなく、治療に対しての副作用を誰よりも心配している。
何度も謝りながら、言葉を探す親を見て、
正直、僕よりも、もしかしたら辛いのかも知れないと感じるときもある。

親の気持ちを理解することは難しいけど、
怒ったり、感情的になったり、逆に平然と振舞っている親ほど、
心中は耐え難いものを抱えているのかも知れない。

ただ、隠し続けることが親孝行なのか?
もちろん、僕も、親が亡くなるまで、
GIDの話をするのは止めようと思ったときもあった。
しかし、親からも「隠し続けることは親孝行ではない」
という言葉を貰った。

親は、一緒に向き合い、乗り越えていく大切な存在だと思う。
だから、反対されたからと言って、親を無視しないで、
時間はかかっても必ず解り合える日がくると僕は信じている。
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2006年11月12日

制服・体育着/二ノ宮

今の僕は当たり前だが、制服や体育着とは無縁の生活を送っている。
だから、振り返れば、まぁーそんなもんもあったなーぐらいの笑い話。
でも当時は必死だった。

セーラー服の採寸のときは、屈辱でしかなかったし。
今でこそハーフパンツだろうが、
ブルマの文字を出すだけでも気持ちが悪い。
僕は、小中とお世話になったのだが、あれを作った人間の目的は何?笑 
はっきり言って、あれはパンツだろ!!苦笑
何も言えず、大好きな体育の為に着用していた自分も自分だが・・。
プライドなんて考えてみれば、ズタズタだよね。

だからこそ、制服や体育着は、僕を否定するものでしかなかった。
制服を着用時の一人での登下校は、下を向いて歩いていたらしく、
ときどき、人に会う度に、注意された。

ただ、僕はそこまで我慢強い人間ではなかったので、
自分なりに解決方法を探していった。
制服を着なければいいようにしていこうと。
決められた時だけは着用する。あとはジャージ。
部活の朝練に出れば、ジャージ登校できるし…などである。

高校時代は、校則で初めから短いスカートだったので、
スカートの下に短パンやトランクスを履いて、バランスをとっていた。


今の僕が、中学生の頃に戻ったらどうしただろうか?と考えるときがある。
たぶん、男子の制服を着用できるように、行動したかも知れない。
…いや、親のことを気にして、出来ないかも知れない。
だけど、何らかのカタチで学校側に向けて行動を起こしたと思う。

体育着はどうだろう?
反対運動でも起こしただろうか…
…いや、「ブルマ反対!!」なんて恥ずかしすぎて叫べないよな。(苦笑)
たぶん、ジャージを切ってハーフパンツでも作ったかな…。

いずれにしろ、守らなければならないルールは守り、
壊してもいいルールは壊せたなぁと思う。
もちろん、校則は全てではないけど、
GIDだから全て認められるというのは、違うと思うから。
ただ単純に反抗するんじゃなくて、頭を使ったやり方で。

今、制服との葛藤の中で生活している人。
まだまだ、やれることはたくさんある。
でも、行動できないからキミが弱いんじゃないよ。
僕は、忍耐強くなかったから、行動しただけだったのかも知れないし。
自分が一番楽に、学校生活を送ることができる選択肢はたくさんある。
僕らも一緒に考えていくから。
どうか、全てをあきらめないで欲しいです。
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2006年10月09日

初めてのカミングアウト・違和感への気づき」/二ノ宮

保育園の記憶は、ほとんどない。
ただ、女の子にしては活発で、男の子と何ら変わらない僕の姿を見て、
先生達は褒めてくれたと聞いた。

<男っぽい女の子>は、時には称賛されることがある。
僕のことを周りは、一応、<女の子>と見ていたから、
<男みたいな僕>に対して、否定的な言葉は聞いたことはない。
その代わり僕は、男と女の一定ラインを気にしていた。
年齢を重ねるにつれ、自分が感じていることが、
周りにとって、おかしいことだと気がついた…それがきっかけ。
これ以上、男を出したらヤバイよな…
ちょっと女っぽいとこを出して、周りを安心させよう…って。
そんな風に考えるようになっていった。

ただ、身体の嫌悪感は増すばかり。
でも、そのことすら、周りには知られたくない。
自分自身のことが、バレるのはヤバイと感じながらも、
男として認めて欲しい想いは強くなるばかり。
だから、男性として生活できるまで、
僕はずっと矛盾の中で生活していた。


赤いランドセル、黄色の帽子は全て気に入らない。
その意味は解っていたけど、納得できなくて、ひたすら恥ずかしかった。
小学校1年生。
学校で、交通安全の標語を録音することがあったのだが、
そこには、男子用、女子用で選ぶ言葉が分かれていた。
僕は「女子用」を選択しなければならなかったから、
それに違和感を覚え、最後まで言葉を選べずにいた。
このことが、胸に刻まれている最初の記憶である。

長い髪の毛は七五三が終了後、親との闘いの末、即行で切った。
小学校3年生ぐらいには、男のジェンダーを追い求めるようになっていった。
僕はサッカーをやっていたので、小学生の頃から色んな人に出逢えた。
その環境は、僕が僕であることを肯定してくれたし、今の自分があるのも、
「女子サッカー」があったからだと思っている。

初めて僕の意思を言葉で伝えたのは、中1のとき。
その頃はもちろん「性同一性障害」なんて知らなかったから、
恋愛をベースに自分のことをカミングアウトしていくしかなかった。
「女も好きになれる。性別を間違えただけ。」
友人達から返ってきた言葉は「いいんじゃない?<悠生>らしい」
最初のカミングアウトはそんな感じだった。

中2。オナベの人をテレビで見て、仲間を見つけた気分になっていた。
親の目を盗み、ビデオに撮って何度も繰り返し見た。
学校の進路希望調査にも「新宿のオナベの店で働く」と記入。

自分自身のことを説明することができなかった時代は
なんとかして、僕の意思を伝えたかったのだと思う。

だから20歳の頃、「性同一性障害」という言葉を知ったとき、
なぜかほっとした。
男でいていいんだ…そんな風に思えた。
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2006年09月10日

「GIDmediaに対する想い&自己紹介」/二ノ宮

「男」と「女」の狭間で愛想笑いを浮かべたり、
ギャグにして誤魔化していた自分自身の殻を破り、
進むべき道を決意してから約6年が経ちました。

当初は、望みの性で生きたいと願っても、何から手をつけていいのかさえ解らず、
思い描くものもすぐには手に入らず、
本当に望みの性で生活なんてできるのかよ…と葛藤の連続でした。

そんな毎日を支えてくれたのが、同じ悩みを持ち生きる人達の姿や情報、
そして公にカミングアウトをし、社会に訴えかける先駆者達の姿でした。
その人達の行動がなければ、今の僕はここにはいないでしょう。
数年前は、「性同一性障害」という言葉すら認知されていなかったのですから。

現在、僕は、治療や改名等には進んでいませんが、望みの性で生活をしています。
多くの人の温かさに触れ、一歩一歩あきらめていたことが、現実になっていく日々。
それだけでも十分幸せであり、このまま埋没するのも悪くないと思っていました。

しかし、ふと、過去を振り返ったとき、思うことがありました。
それは、すぐ近くに、あの時の自分と同じように、悩み、もがいている人が存在しているかも知れないということでした。

NPO法人GID mediaを立ち上げた理由は、その言葉の行く末として、
単純に、「僕には何かできるだろうか?」と考えたのです。
先駆者達の恩恵を受けるだけではなく、僕らの世代では何ができるだろうか?と。
その方法は多種多様の中、僕は、NPO法人GID mediaの道を選びました。

僕個人としても、まだ解決しなければならない問題は山積みです。
だからこそ、ここでの活動は、結果として自分のためになることが解っているから、
自分にできること、やるべきことをやるだけです。

一歩踏み出せば、180度世界が変化すること。
他の誰よりも、当事者が実体験しているはずだから。
手探りですが、進んでいきます。よろしくお願い致します。
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