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性同一性障害って何だろう?
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2007年06月30日

個人年表/渡邉

今回は個人年表ということで、みんなでおもしろがりながら書いてみたのですが、ついつい長くなってしまいました。
まとめきれなくてすみません。

自分も含めてスタッフ4人の個人年表を読んだ感想として、やっぱり僕らは自分大好き人間の集まりだな、ってことです。笑
そうじゃなきゃ、活動をやろうなんて思わないものかもしれないとも思いますが。

えー、ともかく個人年表ラストは渡邉です。



0歳
▽1982年6月、2番目の子として生まれる。
     
2歳
▽弟が生まれる。可愛がる。おもちゃにする。

3歳
▽4歳離れた姉の影響もあってひらがなを覚え、ひとりで絵本を読むようになる。本の虫の誕生。
 
4歳
▽いとこ家族と花火大会に行くが、終わり間際に大雨が降ってきて、「お母さんが濡れちゃう」と泣きながら母親にシートをかけていた。小さい頃で一番はっきり覚えている思い出。


5歳  幼稚園入園
▽半年くらい毎日泣いて過ごす。そして、半年くらい毎日担任のA先生のおんぶで過ごす。
▽家でレゴを散らかしていたところ、見事に踏んで血が出るも「片付けないからでしょ」と怒られるのが怖くて黙っていたら化膿してしまい、余計怒られる。1ヶ月くらい病院に通う。

6歳  幼稚園年長組
▽幼稚園にもすっかり慣れ、毎日を楽しく過ごす。姉の担任をしていた先生が担任だったので、引き続き先生におんぶやだっこで過ごす。
幼稚園の2年間が、今の自分のタイプや恋愛観を形成したと思っている。笑
▽赤いマウンテンバイクを買ってもらい、乗り回す。
 近所の子はみんなキャラクターものの自転車だったので、人と違う、大人のかっこよさに目覚める。
▽地元の中学生が保育実習に来るが、人見知りして1人だけ教室の隅で過ごす。
 そして、かわいいお姉さん2人組の気を引くことに成功する。


7歳  小学校入学
▽「赤も黒も嫌だ。私立っぽくてかっこいいし、これがいい」と茶色のランドセルを買ってもらう。
 当時、カラーランドセルは学校で自分だけだったからじろじろ見られたが、人気者だと誤解する。笑
▽入学から1ヶ月くらい、授業中に泣く→保健室→親が迎えに来て帰る、というプチ保健室登校児に。
 しかし、GW明けには学校に慣れ、いきなりリーダーシップを発揮して先生を驚かせる。(母親談)
▽6月に中国から転校生がやって来たが、先生から「よろしくね!」と、隣の席に任命される。初めて会った外国人。すぐに仲良くなり、その子の家にも遊びに行き、本物の中国人が皮から作る餃子を食べる。酢醤油との出会い。
▽『はれときどきぶた』を読んで恐怖を覚える。本当にぶたが降って来たらどうしようと不安になる。
▽教室掃除の手伝いに来ていた6年生のお姉さんを好きになる。

8歳  
▽ビックリマンのシール集めにハマる。
 一緒に買いに行ったお小遣い金持ちの友だちに、ビックリマンチョコのチョコを貰って食べていた。
 集めたシールはファイルを買ってもらい、それにすべてファイリングして眺めていた。この頃から収集癖が。

9歳
▽ドッチボールと野球にハマる。
 休み時間はドッチボール、放課後は野球、当時は近鉄の野茂、巨人の桑田、の投球フォームを真似る。
 お小遣い制ではなかったため、プロ野球チップスは滅多に買えず、たまに買っても野茂が出ないのでハマらなかった。
▽誕生日プレゼントに「チョコレートケーキ丸ごと1個!」とお願いし、叶えられる。3日か4日かけて完食する。
▽学級委員に選ばれ始め、以降毎年学級委員に。リーダー気質というより、ただの目立ちたがりだった?
▽オールブラックのマウンテンバイクを買ってもらう。買ってと頼んだのではなく、凝り性の父親のお陰でゲット。
▽眼科で医者が「お母さんのせいでこの子のアレルギーがひどくなったんだよ」的なことを言い、「お母さんは悪くない」と涙目で思う。
 翌月から、「1人で行けるからお母さんは来なくていい」と宣言し、1人で通院を始める。
▽姉の影響で、赤川次郎にハマる。三姉妹シリーズや三毛猫ホームズなど、市立図書館で読みつくす。
▽父と姉の影響で、少林寺拳法を習い始める。初めての習い事。

10歳
▽ドラゴンボールとガンダムのカードダス集めにハマる。
▽友だちの家に通ってジャンプを読む。ドラゴンボール、るろうに剣心、忍空、スラムダンク、アウターゾーンなどジャンプ黄金期だった。
 また、女の子の友だちの家に通って、りぼんとマーガレットを読む。
友だちの家に入り浸るが、門限を破って締め出され、泣きながら親に謝って許してもらった。
 ということが、懲りずに3回くらいあった。
▽友だちのお兄ちゃんに『僕らの』シリーズの文庫を15冊くらいもらい、ハマる。学校図書館ではムーミンにハマる。家ではさくらももこのエッセイにハマる。
 
11歳  
▽近所の友だちにつられてそろばんを習い始める。算数や計算が好きだったので、熱心に通う。
 同時に、アルバイトの先生(女子大生)にハマる。困らせたりいじめたり、時に怒られたりしながら、1時間でいいのに、始めから終わりまで3時間くらい居続けたりしていた。
▽林間学校の宿でかくれんぼしようぜと言って始めるも、押入れに隠れた子が熱センサーに反応し、火災警報が鳴ってしまう。すぐさま近くにいた子たちとトイレに逃げ込み、説教を免れるも、逃げ遅れた説教の犠牲班との間に気まずい空気。

12歳  
▽少林寺拳法を一番頑張った一年。
 それまで団体の部か個人の部に出ていたが、県大会で父親と親子の部に出場し、1位獲得。全国大会出場。
 父親がすごく嬉しそうだったことが、最高に嬉しかった。
 初段をとって、中学進学・部活入部を理由に辞める。
▽『すごいよマサルさん』『伝染るんです』などシュールな漫画にハマる。
▽かなり自由人な男友だちに憧れる。好きな人いる?と聞かれると、その友だちだと言っていたが、実際は「ああなりたい」という理想だった。授業中に爆竹を鳴らしたり、偽造テレカを持っていたりというやんちゃな子だった。(今は真面目に働いてます)
▽夏の夜に近くの林でカブトムシ捕りにハマる。

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2007年05月20日

ファッション・髪型/渡邉

自分もやっぱり「自分に合う」ということが大事と思います。

けど、似合う格好としたい格好が違う場合もありますよね。

自分は体型に恵まれなかったので、その点でとても困りました。

ジャケットやシャツを着こなしたいけど、やっぱりサイズに問題があるのでなかなか難しい。
ちなみに身長は150cmです。MTFの方と体をチェンジできたらよかったのになーなんて思います。
あ、背の高い女性はとても素敵だと思います!!


というわけで、自分的小柄な人向けアドバイス!笑

スーツに関して自分は、コムサ・デ・モードやJ.PRESSのキッズラインで揃えています。

サイズも160、170くらいまでありますし、形も大人用と遜色ないのではないでしょうか。

キッズだと多少は値段も下がりますので、学生の自分にはその辺も助かっています。

百貨店などに入っていますので、平日の夜なんかに寄ってみるといいかと思います。

キッズフロアは、子連れのお客さんが多いわけで、そうなると平日の夜などはかなり空いている印象です。

だから、他のお客さんを気にすることもあまりなく、また百貨店の店員さんは丁寧に対応してくれますので、
私はかなり利用しています。

それから、大学の友人が某紳士服チェーン店で働いているのですが、
そこのサイトを見たら「ワールドワイドサイズ」というのがありまして、
キッズを利用するほどではないっていう人にもいいんじゃないかなと思いました。

革靴だとREGALはサイズ豊富なので利用しています。

小さい頃から玄関で父の革靴を見ては、大人になったら自分もこの中敷の靴を履くんだ!と決めていたので、
REGALの商品展開には感謝感激です。


カジュアルな洋服の場合も、自分にはメンズフロアはとても難しいです。

誰かみたいにギャル男の格好が似合えばそれを選んでたかもしれないですけど笑、
キャラ的に違っていたのでそこは選べず。

そこでとりあえず、キッズフロアです。笑

ラルフローレンのキッズラインのシャツなどもたまに買いますが、微妙にラインが大人のものとは違ったり、
やはり子供服、というように色味が違うというものもあるので、その辺は注意した方がいいかもしれません。

あと、財布に優しくサイズも豊富なブランドということで、GAPもたまに利用します。

GAPKIDSではTシャツやシャツをよく買いますね。
もちろん、セール時のみです笑(いつもセールしてるイメージだが)

ここでは逆に、カラフルなものなどを取り入れたりします。
合うサイズのものを見つけたら複数買いです。なんせ安いですからね。

そう、やはりサイズが合うものを見つけて気に入ったら、後日同じものとか色違いとかを買いに行くこともあります。

でも、次に行ったらもうないってこともあるので、サイズに困っている人は服との出会いも大切に。


自分が着たい服は着れない、女物は嫌だ、そう思っていたときには、人と買い物行くのは苦手だったのですが、
パートナーがいた時に服を借りて、似合う系統を探したり、一緒に買い物に行って、買い物に付き合うフリをして、
自分も選んでもらっていました。

そして、似合う服というのは、メンズ・レディース関係なく自分の個性を発揮できるし、
自分らしくもなれるんだなと気づいてからは、レディースフロアもガンガンにまわってました。

古着も好きなので、古着屋にもよく行きます。
店によってはそれこそサイズも豊富だし、1点ものだからオリジナリティも出せる。

ジャージやスニーカーも個人的必須アイテムです。
それこそサイズは豊富ですし、最近はスポーツブランドもファッションのラインに力を入れているようなので、
かなり使えるアイテムだと思います。

それでもスニーカーのレディースカラーは選びたくない、と思う自分もいたり・・・

その辺は臨機応変に。あくまでも、ファッションは楽しく自分のために^^


友だちでも親でも構わないので、自分の好みをよく知ってくれている人と買い物に行って、あれこれ試着したりして
自分に合う系統を探すのはいいと思います。

以前は洋服を買いに行くのはかなり苦痛だったけど、上のことに気づいてからは洋服の買い物が楽しくなりました。
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2007年04月22日

修学旅行・宿泊/渡邉

修学旅行のことはみんなも書いているとおり、
自分もだいたい同じだったと思います。
と言っても、

小学校→覚えていない
中学校→覚えていない
高校→何事もないふりをして自分にしらを切ることにした&部屋風呂を利用

で、よく覚えてないんですが・・・
けど、風呂の問題は、私にとっても非常に大きなものでした。
やはり他のみんなと同じように、女の子と一緒に風呂に入ることはきつかったです。

高校の卒業旅行やその後の旅行はすべて断ってきました。
だから自分は友だちと旅行をしたことがありませんでした。
本当は、すごく行きたかったのに、です。

大学に入ってもそれは変わらず、今思い出しましたがサークルの合宿や旅行も全部断ったなぁ。
友だちと遊びに行くなんてものすごく魅力的だったけど、“風呂”という二文字が重しのように頭から離れませんでした。
「何で一緒に入らないの?」という質問も、「不潔」と思われることも怖かった。

今になって男友だちから(修学旅行の風呂の話で)「いい思いもしてるじゃん」なんて言われることもあるけど、とんでもない。
自分が女性だと他人から認識されること、しかも自分の体を見られて思われることは、屈辱でしかないのです。
それに、人の体を見ている余裕なんて、これっぽちもありません。
今なら笑ってこの気持ちを説明できるけど、
人に説明できるだけの勇気を持てるようになったのは本当に最近のことで、
それまではただ下を向いて涙をこらえることしか出来なかった。
あの時の自分と同じように、何も言えずに唇をかんでいる子がたくさんいるんだろうなぁと思う。
一言だけ、絶望するなと言いたい。


今はというと、時々友人と旅行に行くこともある。
メンバーの中に1人でも事情を知っている人がいたら、断ることはしないかな。
行き先が温泉だとしても、それは時間をずらせばいいだけの話だし、海にも行った。
ラッシュガードを着てしまえば問題ない。(自分の場合)
学校のプールではこうもいかないけどね。
大人になると自由が増えて、決まりごとだらけの学校行事とはまったく違う。
大人になってよかったなと思う瞬間である。


自分のために、相手や自分を誤魔化す術を身につけていく必要もあるかもしれない。
それでもそこには、苦い思い出以外のことも必ずあるはず。
一人旅でもいいし、とにかくいつもと違う場所で自分を試すのもなかなか新鮮だよ。
温泉や共同風呂は、友だちと入るのはきついけど、知らない人の中なら割と平気です。
誰にも何にも評価される心配が無いからね。
あと、案外時間を選べば貸切状態ってこともよくあるし。
修学旅行に関しては、やっぱり学校に相談してみるのも手だとは思う。
担任じゃなくても、養護の先生(保健室の先生)でもいいんじゃないかな。
自分で説明することが難しいと思ったら、このコラムをプリントアウトして見せるのもひとつの方法かもしれない。
知られたくないって思っているなら無理に話す必要は無いよ。
でも、ひとつの嫌なことで全部を諦めちゃうのはもったいないなぁと思います。
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2007年03月25日

入学・新生活/渡邉

いよいよ新年度、ということで、今月のテーマは「入学・新生活」です。

これは、誰にとってもチャンスの時期だと思います。
特に学生にとってはそうかもしれません。
しばらく会わない間に、もしくは初めましての人たちとの接触は、イメチェンのチャンスですね。

自分は大学入学がその時だったと思います。

大学入学のときは、やはり自分を知っている人がいないところに行く、というのがとてもスリリングだったなぁ。
新しいスタートを切れるんだとワクワクしていました。

私は男性として通学したい、ということは自覚していなかったのですが、
なんとなく女の子といたらダメだ、それでは今までと一緒だ、これからは変わるんだ、
という決意を密かに持ってました。

私は1年遅れて大学に入ったので、最初のオリエンテーションで現役生たちの若さを目の当たりにして
ちょっとひいてしまいました。
実際には1歳しか違わないのですが、本当に高校を出てきたばかりの初々しさというのを感じ、
友だちなんて出来ないだろうなぁといきなり諦めモードでした。

しかし、いざクラスごとに分かれてみると、どうも落ち着いた雰囲気の人が多い。
もしかして、と話しかけるとやはり同い年、あるいは年上!
うちのクラスはたまたま現役生が半数の20人ほどだったのです。
お陰でその日のうちに打ち解けられそうな人たちを見つけられました。
さらに、それらのほとんどが男だったのです。
また、専攻の女子に学内での喫煙者がいなかったため、
必然的にたまり場の喫煙所は男ばかり。
向こうは女の子として見ていたのでしょうが、男の中にいる自分がとても居心地よく感じました。

そんな居心地のよさはクラスでの授業が多い2年生まで続いたのですが、徐々に女子ともいるようになりました。
きっかけは、男女別の体育の授業でした。
女子更衣室に入ることが後ろめたかったので、
初めはトイレで着替えていたのですが、顔見知りが増えるに連れて、
「なんで更衣室で着替えないの?」と言われるようになり、変だと思われたくない気持ちが勝ってしまい、
苦渋の選択をせざるを得ませんでした。

性別に関わらず、それがきっかけでいい友人とめぐり合えたのですが、
やはり女子の中にいるとなぜかクセで女子を演じてしまい、
それ以降は自分の方が「やっぱり女子かぁ」という諦めもあって、
男友だちとの間に壁を作ってしまったように思います。
エロ話が出るとその場を離れたり(同じ目線で下ネタを語る勇気は無かった)、
ゲームの話になると「やっぱり自分とは違う」なんて思って徐々に距離が遠くなってしまいました。
自分はRPGもスポーツもまったく興味が無くて、そのときはワールドカップでプレステでサッカーをやるのが
当たり前、みたいな流れだったんですけど、自分はテレビでサッカーを観る方がよっぽど好きだったのです。
別にゲーム好きな女子もいますし、ゲームに興味のない男性もいるのに。
自分の思い込み(ジェンダーバイアス)がすごくあるんだと今も思います。

2年に上がった時、ある女の子の友だちから、
「入学してしばらくは圭ちゃんのこと男だと思ってた。それが体育の授業が一緒ですごい驚いたよ!
 ほんとごめんね、男と間違ってて!」
と謝られました。
周りにいた子は「カワイソー!ちゃんと謝りなよ〜」なんて言ってたのですが、
自分は男だと思われていたことが嬉しくて、ついへらへらしてしまいました。

人の目を気にせず、堂々としていたら、案外パスできるものなんだ。

そんな風に気づきました。

例えば、電車の定期を買うとき、びくびくしながら男に○をつけて窓口に持って行ったのですが、
窓口のおばちゃんから渡された定期には「女」となっていました。

けれど、どうせだめだろうなと女に○をして何気なく窓口に行ったとき、
「女性の方でいいんですよね?」と聞かれました。

「???」


自然でいたらパス率が上がってる!?


自分が女に見える、男に見えるということよりも、
自然にしていることで自分の素が出たり、堂々としていることで相手が納得することがあります。

女に見えても男に見えても、場合によっては「女の子っぽい男の子」なんて見られれば結果オーライ。


これから新生活デビューをする人は、とにかく自然に、当たり前の自分でいることを心がけるといいと思います。
ばれるとかじゃなく、人として認められていけば、そのうち仲良くなった人たちには自分の個性がわかってもらえる
はずです。
ある程度認められたと思ったら、次は自分の希望を伝えたらいいのです。
講演会で小野君も言いましたが、世の中には「変わらないことが優しさ」だと思っている人がいます。
もちろんそうである部分もあると思いますが、変えてもらうことを自分が望むなら、
それは自分が主張するしかありません。特に上のような人には強く主張する必要があるでしょう。

相手はエスパーではないのだから、自分の願望を事細かに分かることなんて口にしない限りは出来ません。
初対面か、仲良くなってからか、どのタイミングでそれを求めるかは人それぞれでしょうが、
最終的に「自分が望むこと(扱われ方、生活など)」は、与えられるのではなく自分で作るのだと思います。


自分で書いてて、「お前も頑張れよ」と今自分に思いました。
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2007年02月25日

就職・面接/渡邉

初めてのアルバイトは、高1の夏休み明け。
近所のホームセンターのレジアルバイトでした。

決め手となったのは、【制服なし・エプロンのみ】と時給。

その頃はまだ性別の違和感を「違和感として」はっきり自覚しておらず、
また初めてのアルバイト体験に舞い上がっていたため、男女での作業の差はあまり気になりませんでした。
というよりも、ほとんど覚えていないのが正直なところです。
着替えがないので更衣室も(確か)男女一緒だったし、職場自体がどちらかというと地味だったので、
化粧をしていないことや、ジーンズばかりでいることも目だたなくてよかったですね。


それ以降も、【制服なし】を基準に掛け持ちも含めて数ヵ所で働きました。
ちなみに、ほとんど個人経営のお店でした。
小さいお店には男女別の更衣室・ロッカーもないので、その辺も気が楽でした。
チェーン店では必ずと言っていいほど制服があるので無意識に避けていたかも。
あと、子どもに関わる仕事に興味があるので、託児所や学童保育でも働きましたが、
こちらも私服+エプロンだったので、仕事も楽しかったし勉強にもなったしで、とてもよかったです。


託児所&学童では、数人の子に「先生、男?女?」と聞かれました。
近くに他の先生がいるときには、「先生は一応女の子だよ」なんて答えていましたが、
そうでない時には「先生は男の方がいいんだけどどう思う?」とか答えてました。
たいていの子は「うーん、よくわかんない」なんて言ってましたが、
学童で会った2年生の子達は「よくわかんないけど、これからは圭先生じゃなくて圭くんて呼ぶね!」なんて言って、
ほんとに夏休みの1ヶ月間「圭くん」と呼んでくれてました。

子どもは正直なので時に残酷だと思うこともありますが(「なんで男っぽいの?女じゃないの?」という質問などは、自分に自信が無い時にはきつかったです)、話せばちゃんと分かってくれます。
むしろ、関係性次第では大人よりもずっとすんなりと受け入れてくれるとも思います。
まだ、男女という性別の区切りが曖昧な部分もあるので、
ある意味その時期に自分のような中間性の人間と出会うことも意味があればいいなとも思います。


大学の時に働いていたパン屋では、途中からキュロットスカート制服の着用が決まりました。
今更キュロットかよ、というのはもちろん、たとえキュロットでも女性用の制服を着用することには抵抗があり、
辞める決意の下に、副店長に「キュロットを履かないといけないのなら辞めます」と話しました。
すると副店長は「しっかり働いてくれて頼りにしてるのに、そんなことで辞められたら困る。店長に話しておくから安心して」と言ってくれて、キュロットスカートの着用はバイトのみ自由になりました。

その時副店長は、何か言いたそうな顔をしていました。
自分が普通の女の子とは違うということに気づいていたのかもしれません。
ふと、話してしまおうかとも思いましたが、今だけの付き合いの人に話したところでどうにもならないかなと思い、
自分のことは黙っていることにしましたが、
今思えば、自分のことを話すことで、今後その店にGIDの子などがバイトとして来た場合に
よい前例になれたかもしれないという気持ちもあります。
そう思うと、少しもったいなかったかなぁと後悔する気持ちもあります。


社員の就職活動の経験は未だなくて、実はそれが今後の悩みでもあるのですが、
今の自分は、履歴書の性別には「女」に丸をつけて就活します。
それは、女として働かなければいけないということを不安に思う気持ちよりも、
仕事が出来るようになってきたら、自分のキャラを確立して、
個性で見てもらえるようになるぞ!という、ある種の自信が上回ったからだと思います。
(私はGIDではないので、男として見られる必要はないため)

大学4年のときには、その決心がつかず就職活動が出来ませんでした。
自分についた性別というラベルがすべてだと思い込んでいたからです。
その考えが変わったのは、現在のGIDmediaの仲間や、GIDmediaを応援してくれる仲間たちが、

「圭は圭だよ、男や女っていう性別じゃなく、【圭】っていう個性で見てるから関係ない」

と言い続けてくれたからです。
初めは信じられませんでした。
みんなはそう思ってくれても、所詮世間は「男」か「女」かを重視するんだと思い込んでいました。
それでもそう言い続けてくれたり、実際に行動で手本を示してくれた仲間たちのお陰で、ある時

【社会に対して偏見を持っているのは自分かもしれない】
【わかってくれない・決め付けていると自分が思い込んでいるだけではないか】

ということにハッと気づきました。
今、GIDに対して然るべき対応をしてくれる企業は、思ったより多くあるのかもしれません。
働きかけ次第でそう変わる企業もあるでしょう。
もしかしたら、これを読んでいるあなたが【第1号】【前例】となるのかもしれません。

どうか自分の望む生活と、その一部である仕事に関して、諦めることはしないでほしいです。
私も頑張ります。
いきなり、ひとりで、立ち向かうことはとてもきつくて苦しいことかもしれません。
どうぞ仲間を見つけて、GIDでなくとも構わないので、味方を見つけて、一歩ずつ進めたらいいですよね。
GIDmediaがお手伝いできることがあれば、どうぞ連絡してください。

一緒に頑張りましょう。


渡邉圭
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2007年01月17日

2007年の抱負/渡邉

こんにちは、渡邉です。
2007年もGIDmediaを宜しくお願いします。

2005年の春から設立に向けた準備を開始し、2006年3月にNPO法人として設立したGIDmediaにとって、
2006年は具体的な活動の準備期間だったと思います。

そして2007年は、いよいよGIDmedia活動開始の年になります。
具体的にはまず、1月16日に心理学を専攻する大学院生の方たちに講演をさせてもらいます。
そして、2月には設立記念イベントを品川区の区民センターで行います。
内容は、1部でFTM当事者3名の講演、2部はディベートなどを行う予定です。
設立記念誌もただいま作成中です。
3月にはGID学会第9回研究会への参加も検討しています。

さらに4月からは、教育に携わる方々の勉強会に参加させてもらったり、講演をさせていただいたり、
また、当事者向けの事業も展開する予定です。
交流会は、今後も毎月開催していきますし、テーマを設けてのディベートや意見交換会、
また、治療に関することなどの当事者勉強会なども検討中です。


ありがたいことに、何人もの方から協力するよ!と言っていただいています。
それは当事者だけでなく、当事者以外の方からも応援をいただいています。
団体設立の当初から、
「当事者だけの団体にはしたくない。いろんな人がいて当たり前の団体にしたい」
とメンバーで話していたので、当事者ではない人がGIDmediaの活動やGIDに興味を持ってくれること、
協力してくれることは、とても嬉しいことです。


1人じゃ出来ないことが4人でならできるかもしれないと思って設立したGIDmediaですが、
4人になったことで、自分たちだけでやろうとしても出来ないことがたくさんあるということ、
皆さんの協力があって初めて動き出せること、出来ることがあるということを、より強く実感しています。


そんな私の2007年の活動のテーマは、「アイデアは移動距離に比例する」です。

GIDmediaの活動を通じてたくさんの人に出会い、刺激を受けて、次の活動につなげたい、
そして、自分たちの周りから少しずつでもGID当事者にとって生きやすい社会に変えていけたらいいなと思います。
当事者にとって生きやすい社会は、そうでない人にとっても生きやすい社会になるかもしれないですしね。


また、個人的には、今後の生き方について考えていかなければいけないと思っています。
具体的なことをうまく言えなくて申し訳ないのですが、GIDではない私の生き方は、
今後のGIDmediaの活動や、卒業後の進路などでうまくゆかないこともあるのではないかと考えています。
なので、その辺りの具体的なことも含めて、自分について改めて考える1年にしたいと思います。


って、誰もが当たり前にしてることですね。
とにかく今年もGIDmediaの活動もプライベートも充実させていきたいと思います。
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2006年12月17日

親へのカミングアウト/渡邉

カミングアウトをこれからしようと思っている人へ

カミングアウトをする前に、少し考えてください。
カミングアウトは何のためにするのでしょう。


自分を知ってもらうため、分かり合いたい、治療や改名のために許可が欲しい、よりよい関係を作るため、自分の苦痛を減らすため、


わかってもらいたい、という気持ちはすごく分かります。
わかってもらえることで、自分の辛さが軽減することもあるでしょう。
励ましてもらえるかもしれないし、一緒に泣いてくれるかもしれない。


ただ、カミングアウトは相手にもつらさや苦しみを背負わせてしまう可能性もあることを心に留めておいて欲しいです。
特に、親の場合はその可能性が高い。
場合によっては、自分以上に苦しませてしまうかもしれないです。


自分が今まで言えなかったことをカミングアウトするのと同じくらいに、その相手も、もしかしたら誰にも相談できないままに1人で悩み苦しむかもしれない。

杉山文野くんはカミングアウトを「今まで自分の持ってきた辛くて苦しいバトンを渡すこと」と言っていたが、本当にそうだと思います。


カミングアウトは解決ではなく始まりです。
そこから新たな自分と相手との関係が始まるのです。
だから、カミングアウトする前に、カミングアウトした後のことも考えてみてください。

それを聞いて親はどう思うだろう、どんな気持ちになるだろう、カミングアウトで何を分かってもらいたいのだろう、自分は何を求めているのだろう、本当にカミングアウトすることが必要なのだろうか、



どんなカタチでも、ショックを受けない親はいないと思います。
それでも伝えたいという思い、背負わせるのではなく一緒に考えていきたいという気持ち、その覚悟は必要かなと個人的には思います。


自分の苦しみを相手に押し付けるのではなく、よりよい関係になるためのカミングアウトのカタチを自分なりに考えてみてください。
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2006年11月19日

制服・体育着/渡邉

【幼稚園】
幼稚園の制服はあまり嫌と思った記憶がない。
その時は、制服は「着るものだ」と思っていたのか、
私服ではスカートを履かなかったのに、幼稚園の制服を嫌がった記憶はない。

【小学校】
小学校は制服が無かったのだが、体育着にも特に嫌な思いをした記憶は無い、、、と思う。
男子の短パンは、パンツがはみ出してかっこ悪いから履きたいとはあまり思わなかった。
ブルマは恥ずかしかったけど、ある意味機能的で動きやすくていいんじゃないかとも思っていた。
水着を着ることに関しては、嫌がったことはほとんど覚えていない。
ただ、着替えにひどく気を使った記憶がある。
女子更衣室にいることがひどく恥ずかしかったり、人の着替えを見ないようにしたり、
自分も見られないように、とにかく早着替えを習得して、早くそこから出ようとしたり、
授業後に先生の手伝いをしてプールサイドに残り、
みんなが着替え終わる頃に更衣室に行ったりしていた、、、ような気がする。


【中学校】
中学に入学するにあたって、制服に対する嫌悪感が一気に出た。
制服でスカートを履かなければいけないということにただでさえ恐怖に近い嫌悪を感じていたのに、
6年間で入学式しかスカートを履かなかったため、
小6の終わり頃から友だちに「来年はスカート履くんでしょ?カメラ持って行こうかな」とひやかされ始めた。
うんざりして、中学は登校拒否をしようと考えていた。
今思い返すと笑ってしまうが、その時は本気で制服を拒否する手立てはそれしかないと考えていた。
制服のスカートを履くことは、自分を殺すこと、自分が自分じゃなくなることだった。
制服購入の採寸の時期が来て、母親に「制服を着たくないから中学は行かない」と話すと、
自分が考えてそうしたいならいいと言ってくれた。
私には姉がいて、うちには姉が着ていた制服があったから特に気にしなかったのかもしれない。

でも実際小学校を卒業して中学のことを考えていたら、
中学には楽しいことがたくさん待っていることに気づいた、新しい友達もできるかもしれない。
制服と楽しいことを天秤にかけたら、別に制服ぐらい我慢すればいいかと思った。
入学式は出身小の友だちに冷やかされたし写真も撮られたけど、
それ以上に楽しいことがありそうだと思い、我慢して通うことに決めた。
中学は想像通り新しい楽しいことがたくさんあって、制服もすぐに慣れた。着ていることを意識しなければ問題なかった。
ジャージが男女で色違いなので体育は苦痛だったけど、楽しみが勝った。
プールはいくらかサボったけど、それで回避できることだからたいしたことじゃなかったかな。
制服や体育着、部活動によって、自分が女子だと周りに思われていたかはわからないが、
結局中学でも男女問わずたくさんの友だちが出来た。


【高校】
中学の3年間のお陰で、制服に対する抵抗は薄れたと思う。
高校は近いという理由で女子校に進学した。
後になって思ったことだが、その高校を選んでよかったと思う。
生徒全員が同じ制服、同じ体育着というのは、違いを感じなくて済むからだ。
初めこそ戸惑ったが、学校の中で男子と比べられないことは、
皆が「自分らしさ」で人を判断してくれる場であったと思う。
別学なのでプールもあったが、これも言い訳をつけて多少サボった。
「水着が嫌だ」と言ったところで理解されないか、
体型を気にする年代なので誰だって水着は嫌だと思っているんだから我儘言うなと言われるだろうと思った。

ただ、違和感はずっと心の中にあった。これを着ていていいんだろうかと。
学校を一歩出れば、学ランを着た男子高生が歩いている。
女子高生の制服を着た自分はなんだか負けた気がしていた。

けなげなもので、女子高生になろうと必死にメイクに関心を持とうとしたり、ルーズソックスを履きこなそうとした。
ある日、学校の廊下で鏡を見てこう思った。「女装してる」
次の瞬間また思った。「なんで女装?自分は女じゃないの?」



制服や体育着について今思い返すと、いやあまり思い出せないというのが事実だ。
その当時はすごく嫌だと思うこともあったと思うのだが、
具体的にはさっぱり思い出せない。
登校拒否を考えたり、悔し涙を流した時もあったはずなのに。

きっとそれだけ今の自分は満足した生活を送っているのかもしれない。

今制服で苦しんでいる人たちには、2つのことを言いたい。
1つは、それだけに捉われずに楽しいことに目を向けること。
せっかくの楽しい時間をどうしようもないことにただ悩んで過ごすのはもったいない。
私はもったいない時間をいくらか過ごした後に方向転換した、そして楽しい学校生活も送れた。
2つ目は、妥協策を考えること。
ジャージで過ごすことが出来る学校なら、少しは楽かもしれない。
最近では、ズボンでの通学を許可する学校もあるらしいから、
一度先生に相談してみるのもいいかもしれない。
担任、養護教諭、部活の顧問、頼れる大人は案外周りにいるものです。
もしいないと思うなら、そのときはメールしてください。一緒に考えよう。
posted by GIDmedia at 09:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 渡邉

2006年10月15日

初めてのカミングアウト・違和感への気づき/渡邉

渡邉です。

前回の日記で、私は性同一性障害(GID)当事者ではありませんと書きました。
なので、GIDとしてのカミングアウトの経験は私にはありませんが、
社会から求められる「女らしさ」が自分に合わないと感じることは今までに多くありました。


物心ついた頃、姉のお下がりである女児用の服を着ることを嫌がった記憶があります。
ズボンが好きで、年上の従兄弟のお下がりを喜ぶ子どもでした。

小学校に上がる時、どうしても赤いランドセルが嫌で茶色のランドセルを買ってもらいました。
このとき、赤は嫌だったけど、だからといって黒にしようという思いはまったくありませんでした。
今ではカラフルなランドセルがたくさんありますが、当時は赤黒以外の子はいなかったため、
上級生にからかわれ泣いたこともありましたが、6年間背負い続けました。

中学の時、密かに憧れていた野球部は「男子のみ」と決まっていたため諦めました。
変に思われると思って、そのことは誰にも相談できませんでした。
生徒会長は例年男子がなるものと決まっていて、
自分にその資格がないことでとても悔しい思いをしました。

高校の時、仲間はずれになりたくなくて必死に化粧に興味を持とうとしたり、
髪を伸ばしてみたりしましたが、廊下の鏡に映ったあまりにちぐはぐな自分の姿を見て止めました。
どれだけ努力をしても、「女装している」という感覚がずっと離れませんでした。


大学に入る頃、インターネットでGIDのことを知りました。
いくつかのGID・FTM(Female To Male;性同一性障害で生物学的女性から男性へ移行する人。その逆で、男性から女性へ性別を移行する人をMTFという。)の個人サイトを回るうちに、彼らのエピソードが自分と非常に似ていることに気づきました。
制服、体育着、水着、部活、トイレ、下着、スカート、ファッション、
私が苦しんできたことと同じ過去がそこにはありました。


その当時、私は自分をGIDではないかと思っていました。
幼い頃から持ち続けていた「自分は人と何か違う」という感覚にやっと当てはまる答えを見つけたという喜びと、共感し合える仲間がいるんだという解放感から興奮状態にあったと思います。
GIDという言葉を知り、その意味を深く知る前に仲間を見つけることに走り、仲間が見つかるたびに、自分がGIDだという確信を深めていきました。

「スカートが嫌いだった」、「男の子とばかり遊んでいた」、「人形よりもミニカー、それより野球やサッカー」など、GID・FTMに多い(典型的な)エピソードはありますが、それだけでGIDであるということにはなりません。
参考として自分史(生活史)を提出することもあるようですが、GIDは本来疾患名であるので、実際の診断は決められた診断基準に沿って進められます。




ところが、インターネットを通じて多くのGID当事者と知り合ううちに、今度はそれまで社会や常識というものから感じていたものと同じ違和感をGIDに持つようになりました。
「女らしさ」という社会通念に苦しんできた私は、「FTMらしさ」という新たな壁にぶつかりました。
GIDかもしれないと思っていたため、特にGID当事者と会っている時には、先輩のFTMの振る舞いや行動をまねようとしましたが、それは自分を制限し、時には望まない方向へ進まないといけないこともありました。

「FTMは男なんだから、男らしくしないといけない」
そんな感覚にとらわれてしまいました。 (これは私の中にあった感覚であって、もちろんそうしないといけないなんてことはまったくありません。)


結局「女の子らしくしよう」と努力して挫折し「自分らしさ」を取り戻した高校時代のように、
自分はGIDではない、「FTMらしさ」=「男らしさ」よりも「自分らしさ」を優先する方がずっと自然で居心地がいいと思いました。
そう決めたとき、それはGIDを知る前の自分に戻っただけであるのに肩の荷が下りたような気がしました。


「自分らしさ」とはとてもあいまいで、その言葉すら重荷になることもありますが、
私が理想とする「らしさ」とは「FTM」でも「男性」でもないことは確かです。

社会的な理由からスカートを履き、化粧をして出社するGID・FTMもいますし、
ネクタイをしめて、男性用の制服を着て働くGID・MTFもいます。
家事が得意でピンクが好きなFTMもいれば、バイクや車が大好きなMTFもいます。

私が縛られているもののほとんどは自分の性別が原因なのではなく、「自分らしさ」を表現する際に障害となるこの社会のジェンダー(ジェンダーとは、「男」あるいは「女」という生物学的性に付随する様々な社会的、心理的な性の側面のこと。)だったのだと今はわかります。


GIDの場合、自分の肉体への違和感がとても強いこと、
逆の生物学的性への同一感があることが診断基準のひとつになっています。
だからこそ、医療の手助けが必要であり、
その治療のための診断基準やガイドラインが設けられています。
医療の介入をもってでしか違和感を克服できない、それがGIDなのです。
しかしその前に、私と同じような状態である可能性もあるので、
治療に入る前に確認のためのチェックを精神科医から受けます。

それでは、もしGIDとして診断が下りなかった場合、
その人はどうすればいいのでしょうか。
私と同じように、自分に割り当てられた性でいることに違和感を持ったまま生きていくことは、
GIDと同じく社会から孤立する可能性があります。

その人の心を治療する?考え方を変えさせる?
それはその人の個性を奪う、人権の侵害です。
ここで問題なのはその人の個性ではなく、
その人の個性に待ったをかける社会のあり方ではないでしょうか。


社会の一員として家庭や職場、学校などの集団に帰属するには、
その集団のルールを守る必要があります。
それを破って行動することは和を乱すことになりますし、我儘でもあるでしょう。
しかし、そのルールを振り返ってみると、実は妥当性の無いものもあると思います。


社会情勢が変化し、共働き家庭や晩婚・未婚が増えるなどライフスタイルの多様化が進む中で、
それまで性というものを意識してこなかった人たちの中にも性へのこだわりを持つ人は増えるかもしれませんし、問題も増えていくかもしれません。
夫婦で働く場合は子どもを預けなければいけない、出産・育児休暇を取ることはキャリアアップにマイナスだ、父親は育児休暇を取りにくい、就職や昇給の男女差はまだまだ大きいなど、仕事ひとつをとっても性に関わる問題はこれだけあります。


性に関して考えることは、性の問題を抱える人たちだけに必要なことではありません。
GIDmediaでの活動を通して、まずは1人でも多くの人が性に関心を持って欲しいと思います。
GIDは他人事かもしれませんが、性はひとりひとりにあるものだからです。



今月のテーマとは少し論点がずれてしまいました。ごめんなさい。
posted by GIDmedia at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 渡邉

2006年09月17日

「GIDmediaに対する想い&自己紹介」/渡邉

はじめまして。理事を務める渡辺です。
私がGIDmediaに参加しようと思ったのは、社会は自分たちの手で変えられるし、
自分たちで変えていくしかないと思ったからです。

治療のためのガイドラインが出来て、戸籍の特例法が出来て、
そのどちらも全国紙で大きく報道され、
それがきっかけで、性同一性障害が世間に広く認知されていったと思います。

これらの変化は、性同一性障害当事者の先輩方のお陰です。
先輩方が、粘り強く世の中に働きかけ続けてくれたお陰で、
下の世代はその恩恵に預かることが出来ている、これは本当に感謝すべきことです。
こうして社会を動かし、変えることが出来る、自分たちに追い風を吹かせることが出来る、
先輩たちが作ってきた道を振り返って、私はそう思っています。
そして、そろそろ次の世代である20代の我々も、
行動に移していかなければいけないのではないか、と感じました。


私自身は、性同一性障害当事者というわけではありません。
むしろ、性同一性障害の過度の医療化を心配しています。
体さえ変えれば、手術さえしてしまえば、当事者の中にはそれですべてが解決すると思っている人もいるように思いますが、選択肢は本当にそれしかないのでしょうか。

人生や生き方は、ひとりひとり違うものだと思います。
性同一性障害だからと言って、みんなが治療に走らないといけないということもありません。
また、疾患名である性同一性障害という単語は、医者によって与えられるものです。
自分で選ぶものではありません。

性同一性障害だから、というのではなく、自分の生き方だから、
そうやって自分のあり方を選択していけるような世の中になってほしいし、
そういう選択が否定されたり差別されたりしないような世の中にしていきたいと思っています。


私たちがNPO法人を立ち上げて活動するのは、性同一性障害を宣伝するためではなく、
性同一性障害だからといって否定されるような社会を変えるためです。
この目的が達成されれば、この法人はその時点で必要なくなります。
早く、この法人が解散する日が来て欲しい、そのためにどんどん活動していこうと思います。
posted by GIDmedia at 10:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 渡邉

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