1980年4月21日
宮城県のとある田舎病院で誕生
2歳
弟が生まれる。
3歳
上の子としての自覚が生まれ、トイレは自分で行くからお母さんは弟を見てて、などと大人ぶった発言をする。
4歳
もう一人弟が生まれる。
幼稚園に入る。サッカーをして窓ガラスを割り怒られる。
プールのときに自分がワンピースを着る理由が分からなかった。
5歳
避難訓練のときに「大人達にうそをつかれた!!だまされたんだ!!」と勘違いする。
近所の子供達の中でリーダー的存在を発揮。
自転車の練習で股間を打ち、泣く。
小学校
1年生(7歳)
図工の時間に水彩絵の具の使い方が悪いと、「悪いお手本」にされて泣く。
先生の怒鳴り声にびびってお漏らしをして泣く。
2年生(8歳)
父親の転勤のため、広島にお引越し。
学校が変わって、新しい友達が出来る。得意なスポーツはドッヂボール、手打ち野球。
3年生(9歳)
クラス替えもあってまた新しい友達が出来る。
田中さん(女子)と仲良くなり、毎日手をつないで帰る。
が、帰ったら秘密基地に移動し、山を探検する(LV1:装備:木の棒)
基本は男子扱い。ドッチボールのハンディは一切なし。
4年生(10歳)
先生からセクハラを受ける。「女子なんだからスカートをはいて来い」という指示に断固拒否。母親に訴えPTAの会議で問題となる。
おしっこをぎりぎりまで我慢する癖が付く。
5年生(11歳)
クラスでマンガを描くのが流行る。ドラゴンボールに影響を受ける。
「マンガ人」という雑誌をクラスの友達同士で刊行する。
山を探検する(LV3:装備:エアガン・パチンコ)
6年生(12歳)
女子同士の交換日記に無理やり加わされる。
主な遊びは野球とサッカー。ピンポンダッシュ。生徒会に入る。
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性同一性障害って何だろう?
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2007年06月23日
2007年05月06日
ファッション・髪型/小松
今回はファッション・髪型というテーマです。
僕にGIDというアイデンティティが確立され、自由に服装を決められるようになってから、スカートはすっかりはかなくなりました。
スカート嫌いは幼稚園の頃からでしたが、時々履かされていましたけれども、高校は自由な服装だったので、好きな格好をしていたことは以前、お話した通りです。
高校生くらいからヴィジュアル系の音楽を聞くようになったからか、黒を基調にした服装が多かったです。
髪もちょっと奇抜な色にしてみたりですね。長さはショートでした。
憧れていたラルクアンシエルのKenに似せるような格好を常々していたように思います。
大学生になってからは、ヴィジュアル系を残しつつも、カジュアルな格好をするようになりました。
色はオレンジなどの暖色系、それから白、黒ですね。
サイズの大きいものを買うようにして、体のラインが出ないような服を着ていました。
いわゆる、B系?ストリート系っぽい格好をよくしていました。
フォーマルのときはスーツも着ました。
サイズが小さいため、ちょっとかっこ悪かったですけど、仕方なく。
髪型はずっとショートカットでした。
時々、ツンツンヘアにしたり、ベリーショートにしてみたり、
短いなりに楽しんでいました。
肩よりも下に伸ばしたことはなかったです。
現在は、実は伸ばしています。
今が人生で一番長いと思いますね。
胸辺りまで後ろ髪が伸びてます。ウルフカットです。
ホルモン注射を打つ前は、なるべくメンズものを着るようにしていました。
小中学生の頃は自分では買えなかったので、
親が多少、考慮してくれていたのか女の子モノでも、
かっこいいタイプのものを買ってきてくれていました。
現在は、いろいろ着られるようになりましたよ。
何気にスカートもはけちゃいます。
メンズがほとんどですが、レディースも着ます。
サイズだったりデザインだったりが気に入れば何でも、という感じです。
服装次第で、世間の人にどう見られるか、結構重要になってくることは皆さんもご存知の通りでしょう。
なるべくTPOにあわせて、服装は選んだ方がいいです。
見た目で判断しちゃいけない、と学校で教わるものの、
社会全般、見た目で判断されることは多々ありますし、
男だから女だからというよりもTPOを優先した方が得することも多いです。
変なところで浮きたくない気持ちもありますしね。
普段は好きな格好を出来る環境作りも大事です。
田舎の方はなんだかんだとうるさいところもあると思いますが、服装って不思議なもので、それでその日の気分が変わったりしますよね。
だからこそ、自分に自信をもって、でもTPOは忘れずに、かっこよく着こなすことをおすすめします。
かくいう自分もどちらかというとダサい方ですが、
色んな人の服装をみたり、雑誌を見たりして研究するのも面白いと思いますよ。
僕にGIDというアイデンティティが確立され、自由に服装を決められるようになってから、スカートはすっかりはかなくなりました。
スカート嫌いは幼稚園の頃からでしたが、時々履かされていましたけれども、高校は自由な服装だったので、好きな格好をしていたことは以前、お話した通りです。
高校生くらいからヴィジュアル系の音楽を聞くようになったからか、黒を基調にした服装が多かったです。
髪もちょっと奇抜な色にしてみたりですね。長さはショートでした。
憧れていたラルクアンシエルのKenに似せるような格好を常々していたように思います。
大学生になってからは、ヴィジュアル系を残しつつも、カジュアルな格好をするようになりました。
色はオレンジなどの暖色系、それから白、黒ですね。
サイズの大きいものを買うようにして、体のラインが出ないような服を着ていました。
いわゆる、B系?ストリート系っぽい格好をよくしていました。
フォーマルのときはスーツも着ました。
サイズが小さいため、ちょっとかっこ悪かったですけど、仕方なく。
髪型はずっとショートカットでした。
時々、ツンツンヘアにしたり、ベリーショートにしてみたり、
短いなりに楽しんでいました。
肩よりも下に伸ばしたことはなかったです。
現在は、実は伸ばしています。
今が人生で一番長いと思いますね。
胸辺りまで後ろ髪が伸びてます。ウルフカットです。
ホルモン注射を打つ前は、なるべくメンズものを着るようにしていました。
小中学生の頃は自分では買えなかったので、
親が多少、考慮してくれていたのか女の子モノでも、
かっこいいタイプのものを買ってきてくれていました。
現在は、いろいろ着られるようになりましたよ。
何気にスカートもはけちゃいます。
メンズがほとんどですが、レディースも着ます。
サイズだったりデザインだったりが気に入れば何でも、という感じです。
服装次第で、世間の人にどう見られるか、結構重要になってくることは皆さんもご存知の通りでしょう。
なるべくTPOにあわせて、服装は選んだ方がいいです。
見た目で判断しちゃいけない、と学校で教わるものの、
社会全般、見た目で判断されることは多々ありますし、
男だから女だからというよりもTPOを優先した方が得することも多いです。
変なところで浮きたくない気持ちもありますしね。
普段は好きな格好を出来る環境作りも大事です。
田舎の方はなんだかんだとうるさいところもあると思いますが、服装って不思議なもので、それでその日の気分が変わったりしますよね。
だからこそ、自分に自信をもって、でもTPOは忘れずに、かっこよく着こなすことをおすすめします。
かくいう自分もどちらかというとダサい方ですが、
色んな人の服装をみたり、雑誌を見たりして研究するのも面白いと思いますよ。
2007年04月01日
修学旅行・宿泊/小松
今回のテーマは「修学旅行・宿泊」です。
これから新生活を送る皆様もたくさん居ると思います。
夏に向けて、さまざまな行事を控え、修学旅行や宿泊することも多くなってくると思います。
その際に僕たちのような人間は、自分の身体と再度向き合うことになり、
そのたび、「どうしよう」と葛藤が起こります。
心配事は「お風呂」です。女湯に入るべきなのか、それとも男湯に入るべきなのか。
SRSを終了していない限りはほとんどの人はFTMなら女湯に、MTFなら男湯に入らなくてはならないでしょう。
身体的には、自分の望んでいる性ではないからです。
しかし、自分としてはそれはとても嫌悪感を感じますし、
ヘテロセクシュアルであるならばそれに罪悪感も加わります。
多くの男性はここで「女湯に入れるなんてうらやましい!!」と思うかもしれませんが、
僕たちにとっては結構な苦痛を伴います。
自分が望んでいる身体ではないものを周りにさらけ出し、
自分がいくら「男性だ」「女性だ」と言いはったところで、
周りの人に見えているのは身体的な性別なのですから、
その見た目で「女性だ」「男性だ」と判断されてしまうわけです。
これはとてつもなく屈辱的で、衣服を着ている間はごまかせていたところが、
まったく持って不本意にさらけ出されてしまうんです。
恥ずかしい行為であることなのです。
女湯に、何の気兼ねもなく堂々と入れる男性が居るでしょうか?
男湯に、何の気兼ねもなく堂々と入れる女性が居るでしょうか?
それが出来る人はちょっと考えたほうがいいと思います(笑)
しずかちゃんにお湯を掛けられるのびたくんの姿。
あれが普通の反応なはずです。
僕らは「いけないこと」をしてしまっている罪悪感と、
不本意にさらけ出される自分の意思とは正反対の身体に向けられる視線
(もちろん周りの人はそんなに見てないんだろうけれども)に
怯えながら入浴しなくてはならない恐怖に襲われます。
そこで、選ばれる選択肢は「なんとしてでもお風呂には入らない」しかなくなるわけです。
悲しいかな、修学旅行はたいてい身体にいい温泉が準備されていたり、
そこでしか味わえないようなお風呂の楽しみだったりがあるわけですよ。
それを自ら放棄せざるを得ないわけですよ。
もったいない!!!
もういくつ、その楽しみを味わい損ねたか・・・。
と思うと非常に口惜しいわけです。
小学生のころはまだ、僕としてはまだ意識が薄く、むしろ楽しいほうを選んだので、
惜しげもなく脱ぎさらし、お風呂を楽しんでいたのですが、
中学では、そうも行かなくなってきました。
ただ、中学では「入らない」という選択肢はどうしても無理だったんです。
生理でもなければ強制的に同じ時間に同じように入らされるわけでした。
僕はそのときはまだ、自分が生理がきていることがとても恥ずかしいことだったので言うに言えず、
女子の皆さんと大浴場に入りました。
ここでヒントですが、「生理」であれば、入らなくても良い。というのはどうやらどこでも同じようなので
逃げる手口としては「生理なので無理!!」と入らない選択肢選ぶことも有りだと思います。
高校のときになると、入浴時間は一応決まっていたものの、大浴場と個室の部屋のとを選ぶことが出来ました。
僕はこのときはもうだいぶ自我も出来上がっていたので「生理」という理由付けをして個室風呂に入りました。
それでもやっぱりちょっと寂しかったんですよね。友達と来てるのに裸の付き合いが出来ないって言うのは。
それから大学では最初のオリエンテーションが宿泊だったので、またもや困ったな、と思ったんです。
お風呂、どうしよう・・・と。
しかしその心配は杞憂に終わりました。
お風呂は、入らなかった!!
というのも、皆飲み会で飲みまくっており、お風呂どころじゃなかったんです。
そういう時もあるわけで。飲めるようになったら、飲んでるから入らないという手も出てきます。
それから卒業旅行にも誘われていきましたが、僕は当時はもうすでにまわりにはカミングアウトしており、
友人たちは全員そのことを知っていたので、「運転係」と称して男性1名(僕)+女性7名くらいで温泉に行きました。
どうせ私たちしか居ないんだし!と、無理やり女湯に入らされそうになったんですが
断固拒否しまして。皆が寝静まったころにこっそり(深夜でホントに誰も居なかった)女湯に入りました。
男湯だと、男性が入ってきたときに襲われたりしても困るから、それは避けました。
せっかく温泉に入りに来たのに温泉に入らないで帰るのもおかしな話ですしね。
大人になるにつれてちょっとずつ、「入らない」という選択肢だけだったのが
「時間をずらしてはいる」という選択肢も加えられるようになったんです。
先日も、彼女と友達と、彼女のお母さんと一緒に温泉に行きました。
友達も彼女のお母さんも、僕の体のことは知りません。
そしてラッキーなことに、他のお客さんも男性2名だけだったので
自由気ままに、男湯と女湯を行ったりきたりして2,3回混浴を楽しみました。
友達にも、彼女のお母さんにも、全然ばれなかったですよ。
修学旅行では時間制限なんかもあると思いますので、そうは行かないと思いますが、
友人たちとの旅行では、意外と自由に皆が居ないときに入るという手が使えると思います。
入ってる間、びくびくですけれども、温泉を純粋に楽しまないで帰るのはもったいないと思いますよ。
気楽に考えられるようになった僕ですが、
たとえば、バンドのメンバーで温泉に行こうよ〜とか、合宿やろうという話になると
やっぱりどこかで「びくっ」としちゃってる自分も居ます。えぇ。
もうこりゃー宿命と思って開き直るしかないかもしれないですね。
修学旅行、宿泊というテーマでしたけれど、お風呂ネタになってしまいましたが
僕たちのような人間が一番悩むところなので、ピックアップしてお話させていただきました。
学校の先生方や、友人に性同一性障害のいる方にお願いです。
時間をずらしてはいるチャンスを下さい。そして、その間はどうか一人になれるようにしてあげて下さい。
入りたくなくて入らないんじゃないんです。
上記のような理由で、入りたくても入れないのですから。
これから新生活を送る皆様もたくさん居ると思います。
夏に向けて、さまざまな行事を控え、修学旅行や宿泊することも多くなってくると思います。
その際に僕たちのような人間は、自分の身体と再度向き合うことになり、
そのたび、「どうしよう」と葛藤が起こります。
心配事は「お風呂」です。女湯に入るべきなのか、それとも男湯に入るべきなのか。
SRSを終了していない限りはほとんどの人はFTMなら女湯に、MTFなら男湯に入らなくてはならないでしょう。
身体的には、自分の望んでいる性ではないからです。
しかし、自分としてはそれはとても嫌悪感を感じますし、
ヘテロセクシュアルであるならばそれに罪悪感も加わります。
多くの男性はここで「女湯に入れるなんてうらやましい!!」と思うかもしれませんが、
僕たちにとっては結構な苦痛を伴います。
自分が望んでいる身体ではないものを周りにさらけ出し、
自分がいくら「男性だ」「女性だ」と言いはったところで、
周りの人に見えているのは身体的な性別なのですから、
その見た目で「女性だ」「男性だ」と判断されてしまうわけです。
これはとてつもなく屈辱的で、衣服を着ている間はごまかせていたところが、
まったく持って不本意にさらけ出されてしまうんです。
恥ずかしい行為であることなのです。
女湯に、何の気兼ねもなく堂々と入れる男性が居るでしょうか?
男湯に、何の気兼ねもなく堂々と入れる女性が居るでしょうか?
それが出来る人はちょっと考えたほうがいいと思います(笑)
しずかちゃんにお湯を掛けられるのびたくんの姿。
あれが普通の反応なはずです。
僕らは「いけないこと」をしてしまっている罪悪感と、
不本意にさらけ出される自分の意思とは正反対の身体に向けられる視線
(もちろん周りの人はそんなに見てないんだろうけれども)に
怯えながら入浴しなくてはならない恐怖に襲われます。
そこで、選ばれる選択肢は「なんとしてでもお風呂には入らない」しかなくなるわけです。
悲しいかな、修学旅行はたいてい身体にいい温泉が準備されていたり、
そこでしか味わえないようなお風呂の楽しみだったりがあるわけですよ。
それを自ら放棄せざるを得ないわけですよ。
もったいない!!!
もういくつ、その楽しみを味わい損ねたか・・・。
と思うと非常に口惜しいわけです。
小学生のころはまだ、僕としてはまだ意識が薄く、むしろ楽しいほうを選んだので、
惜しげもなく脱ぎさらし、お風呂を楽しんでいたのですが、
中学では、そうも行かなくなってきました。
ただ、中学では「入らない」という選択肢はどうしても無理だったんです。
生理でもなければ強制的に同じ時間に同じように入らされるわけでした。
僕はそのときはまだ、自分が生理がきていることがとても恥ずかしいことだったので言うに言えず、
女子の皆さんと大浴場に入りました。
ここでヒントですが、「生理」であれば、入らなくても良い。というのはどうやらどこでも同じようなので
逃げる手口としては「生理なので無理!!」と入らない選択肢選ぶことも有りだと思います。
高校のときになると、入浴時間は一応決まっていたものの、大浴場と個室の部屋のとを選ぶことが出来ました。
僕はこのときはもうだいぶ自我も出来上がっていたので「生理」という理由付けをして個室風呂に入りました。
それでもやっぱりちょっと寂しかったんですよね。友達と来てるのに裸の付き合いが出来ないって言うのは。
それから大学では最初のオリエンテーションが宿泊だったので、またもや困ったな、と思ったんです。
お風呂、どうしよう・・・と。
しかしその心配は杞憂に終わりました。
お風呂は、入らなかった!!
というのも、皆飲み会で飲みまくっており、お風呂どころじゃなかったんです。
そういう時もあるわけで。飲めるようになったら、飲んでるから入らないという手も出てきます。
それから卒業旅行にも誘われていきましたが、僕は当時はもうすでにまわりにはカミングアウトしており、
友人たちは全員そのことを知っていたので、「運転係」と称して男性1名(僕)+女性7名くらいで温泉に行きました。
どうせ私たちしか居ないんだし!と、無理やり女湯に入らされそうになったんですが
断固拒否しまして。皆が寝静まったころにこっそり(深夜でホントに誰も居なかった)女湯に入りました。
男湯だと、男性が入ってきたときに襲われたりしても困るから、それは避けました。
せっかく温泉に入りに来たのに温泉に入らないで帰るのもおかしな話ですしね。
大人になるにつれてちょっとずつ、「入らない」という選択肢だけだったのが
「時間をずらしてはいる」という選択肢も加えられるようになったんです。
先日も、彼女と友達と、彼女のお母さんと一緒に温泉に行きました。
友達も彼女のお母さんも、僕の体のことは知りません。
そしてラッキーなことに、他のお客さんも男性2名だけだったので
自由気ままに、男湯と女湯を行ったりきたりして2,3回混浴を楽しみました。
友達にも、彼女のお母さんにも、全然ばれなかったですよ。
修学旅行では時間制限なんかもあると思いますので、そうは行かないと思いますが、
友人たちとの旅行では、意外と自由に皆が居ないときに入るという手が使えると思います。
入ってる間、びくびくですけれども、温泉を純粋に楽しまないで帰るのはもったいないと思いますよ。
気楽に考えられるようになった僕ですが、
たとえば、バンドのメンバーで温泉に行こうよ〜とか、合宿やろうという話になると
やっぱりどこかで「びくっ」としちゃってる自分も居ます。えぇ。
もうこりゃー宿命と思って開き直るしかないかもしれないですね。
修学旅行、宿泊というテーマでしたけれど、お風呂ネタになってしまいましたが
僕たちのような人間が一番悩むところなので、ピックアップしてお話させていただきました。
学校の先生方や、友人に性同一性障害のいる方にお願いです。
時間をずらしてはいるチャンスを下さい。そして、その間はどうか一人になれるようにしてあげて下さい。
入りたくなくて入らないんじゃないんです。
上記のような理由で、入りたくても入れないのですから。
2007年03月10日
入学・新生活/小松
今月は「入学、新生活」というテーマです。そんな季節なんですね。
そんなことを身近に感じなくなって久しいですが、
思い出すと、新しい環境になるということは、僕にとって、いいチャンスであったようにおもいます。
もちろん不安なこともありましたが、歳を重ねるごとに大きな転機のときは、
今度は自分に嘘をつかずに済むかもしれないと、期待して臨んでいました。
中学に入る頃は、制服に悩まされました。
スカートを履かねばならないプレッシャーがありましたし、
仲良くしていた男子が急に冷たくなり、仲良くしてくれなくなってしまいました。
けれど、それのおかげか、自分が女であることに改めて気付かされたのです。
男子の学生服を着たいとごねましたが、無理でした。
高校に入るときは、女子校でしたが私服の学校だったので、服装には悩まされずに済みました。
入学式だけは、スカートをはかされましたが。
ただ、女だけの入学式にとてもショックを受け(女子校だから当然なのですが)、
やっていけるのか、不安で仕方がありませんでした。
しかし、うちの学校は割と特殊で、
入ってしまうとその中で男性役割の人間と女性役割の人間とがなんとなく分かれ、
僕は前者にうまいこと流れることができました。
卒業する頃にはすっかり自分が男性だと言わんばかりになりましたし、
そんな自分を周りもなんとなくキャラとして受け止めてくれるようになりました。
大学は県外に出ることになり、
自分を知らない人が大半を占めるようになったため、いい転機になりました。
周りが自分を知らないということは、
自分がこうである、ということを植え付けやすいからです。
大学に入ってすぐにゼミでカミングアウトしました。
アイデンティティもある程度確立していたのもあいまって、
受け入れてくれる人とうまくつきあえればいいや、という気持ちからでした。
意外にもみんな興味を示してくれ、結局、ゼミ内では男性として扱ってもらえました。
最後まで否定した人もいましたが、四年かけて態度や言葉で説得し、
卒業のときは、ゼミだけでなくまわりの友人たちみんなが、
自分を男性だけの輪にいれてくれるようになりました。
そして、大親友の男からは、「お前がお前で、友達になれてよかった。感謝してる」と言ってもらえました。
それまでの道のりは、いろんな葛藤もあったし、嫌なことも言われたりされたりしましたが、
大半の人は、自分を個人としてみてくれていたようにおもいます。
東京に出てくるときも、自分が男性であることを改めて言わなくてもいい生活になりました。
それは、ホルモンをうちはじめたこともあるし、外見的なこともありましたが、
やはり、自分を知らない人の中に入ったときに、さりげないアピールをできるようになったせいかと思います。
例えば、服装や、声、トイレなど、ありとあらゆる場所で回りが「あれ?」と思ったとしても、
堂々としていれば、案外そういうものとして受け止めてくれました。
新生活、ただでさえ不安なことだらけです。
それはみんな同じでしょう。
だからこそ、逆手にとり、自分がこういう人間だと言うことをアピールし、
堂々としていくべきだと思います。
僕はいま、FTMなのに女の子のような恰好をしたりできるようになりました。
自分の中で、それはあくまでキャラと割り切れるからです。
普段はFTMであることを隠し、男性として振る舞っていますが、いろんな男性がいます。
長髪で女みたいな男性も、かわいいキャラクターが大好きな男性もいます。
それはいけないことではないし、だからといってそれが男性ではないとは言えないですよね。
僕は、大事なのは自分が何なのかを自覚するところにあると思います。
新生活は改めて、他人を知り、自分を知り、知らしめるチャンス。
不安もあるだろうけれどそんなふうに考えてみたら、気持ちは楽になると思います。
これから新生活を迎える人には、自信を持って頑張ってほしいと思います。
そんなことを身近に感じなくなって久しいですが、
思い出すと、新しい環境になるということは、僕にとって、いいチャンスであったようにおもいます。
もちろん不安なこともありましたが、歳を重ねるごとに大きな転機のときは、
今度は自分に嘘をつかずに済むかもしれないと、期待して臨んでいました。
中学に入る頃は、制服に悩まされました。
スカートを履かねばならないプレッシャーがありましたし、
仲良くしていた男子が急に冷たくなり、仲良くしてくれなくなってしまいました。
けれど、それのおかげか、自分が女であることに改めて気付かされたのです。
男子の学生服を着たいとごねましたが、無理でした。
高校に入るときは、女子校でしたが私服の学校だったので、服装には悩まされずに済みました。
入学式だけは、スカートをはかされましたが。
ただ、女だけの入学式にとてもショックを受け(女子校だから当然なのですが)、
やっていけるのか、不安で仕方がありませんでした。
しかし、うちの学校は割と特殊で、
入ってしまうとその中で男性役割の人間と女性役割の人間とがなんとなく分かれ、
僕は前者にうまいこと流れることができました。
卒業する頃にはすっかり自分が男性だと言わんばかりになりましたし、
そんな自分を周りもなんとなくキャラとして受け止めてくれるようになりました。
大学は県外に出ることになり、
自分を知らない人が大半を占めるようになったため、いい転機になりました。
周りが自分を知らないということは、
自分がこうである、ということを植え付けやすいからです。
大学に入ってすぐにゼミでカミングアウトしました。
アイデンティティもある程度確立していたのもあいまって、
受け入れてくれる人とうまくつきあえればいいや、という気持ちからでした。
意外にもみんな興味を示してくれ、結局、ゼミ内では男性として扱ってもらえました。
最後まで否定した人もいましたが、四年かけて態度や言葉で説得し、
卒業のときは、ゼミだけでなくまわりの友人たちみんなが、
自分を男性だけの輪にいれてくれるようになりました。
そして、大親友の男からは、「お前がお前で、友達になれてよかった。感謝してる」と言ってもらえました。
それまでの道のりは、いろんな葛藤もあったし、嫌なことも言われたりされたりしましたが、
大半の人は、自分を個人としてみてくれていたようにおもいます。
東京に出てくるときも、自分が男性であることを改めて言わなくてもいい生活になりました。
それは、ホルモンをうちはじめたこともあるし、外見的なこともありましたが、
やはり、自分を知らない人の中に入ったときに、さりげないアピールをできるようになったせいかと思います。
例えば、服装や、声、トイレなど、ありとあらゆる場所で回りが「あれ?」と思ったとしても、
堂々としていれば、案外そういうものとして受け止めてくれました。
新生活、ただでさえ不安なことだらけです。
それはみんな同じでしょう。
だからこそ、逆手にとり、自分がこういう人間だと言うことをアピールし、
堂々としていくべきだと思います。
僕はいま、FTMなのに女の子のような恰好をしたりできるようになりました。
自分の中で、それはあくまでキャラと割り切れるからです。
普段はFTMであることを隠し、男性として振る舞っていますが、いろんな男性がいます。
長髪で女みたいな男性も、かわいいキャラクターが大好きな男性もいます。
それはいけないことではないし、だからといってそれが男性ではないとは言えないですよね。
僕は、大事なのは自分が何なのかを自覚するところにあると思います。
新生活は改めて、他人を知り、自分を知り、知らしめるチャンス。
不安もあるだろうけれどそんなふうに考えてみたら、気持ちは楽になると思います。
これから新生活を迎える人には、自信を持って頑張ってほしいと思います。
2007年02月02日
2月テーマ「就職・面接」/小松
今年27歳になる私ですが、就職経験は実はないんです。
就職活動はしたものの、やる気のなさがエントリーシートからも伝わったのか、全滅でした。
その時は、まだ名前も変更できずにいましたので、女性名のまま。
しかしホルモン治療は進んでいたため、男性化した写真を使用しました。
怪しかったでしょうね。
事情も何も書かず提出したのもよくなかったみたいです。
それで、奥の手だった教員採用試験を受けることにしまして、
地元仙台と埼玉県の試験を受けました。
書類はやはり、元の名前で、今度はきちんと事情の説明書きを加えました。
書き方としては
「性同一性障害を抱えておりますので、男女で席を分けたりする場合は考慮していただけると有り難いです」
といった感じのメモを同封しました。
仙台も埼玉もきちんと対応してくれまして、男子と女子の間に挟まれて試験を受けました。
服装はもちろんスーツでしたよ。
そのような対応をしてもらったものの、勉強不足のために試験には落ちまして、塾の講師を始めました。
その時にもまた、人事の社員に面接時に細かく説明し、理解を得まして、男性として働かせてもらいました。
その人事の方は理解をしようと、色々とよくしてくれました。
意外と理解してくれる人はいるものです。
そのあと始めた他のバイトのときも、給与振込みのためにカミングアウトしましたが、普通に対応してくれました。
きちんと誠意を持って働こうという姿勢があれば、理解を得られるものです。
ただ、場所によっては差別をされるところもあるみたいです。
理解してもらえるよう、自分になるべく非のないようがんばる姿勢で、一人一人理解してもらっていくことで、私たちの存在をアピールし、どこでも正しい対応をされるようになるといいなと思います。
嫌な気分で働きたくはないですからね。
就職活動はしたものの、やる気のなさがエントリーシートからも伝わったのか、全滅でした。
その時は、まだ名前も変更できずにいましたので、女性名のまま。
しかしホルモン治療は進んでいたため、男性化した写真を使用しました。
怪しかったでしょうね。
事情も何も書かず提出したのもよくなかったみたいです。
それで、奥の手だった教員採用試験を受けることにしまして、
地元仙台と埼玉県の試験を受けました。
書類はやはり、元の名前で、今度はきちんと事情の説明書きを加えました。
書き方としては
「性同一性障害を抱えておりますので、男女で席を分けたりする場合は考慮していただけると有り難いです」
といった感じのメモを同封しました。
仙台も埼玉もきちんと対応してくれまして、男子と女子の間に挟まれて試験を受けました。
服装はもちろんスーツでしたよ。
そのような対応をしてもらったものの、勉強不足のために試験には落ちまして、塾の講師を始めました。
その時にもまた、人事の社員に面接時に細かく説明し、理解を得まして、男性として働かせてもらいました。
その人事の方は理解をしようと、色々とよくしてくれました。
意外と理解してくれる人はいるものです。
そのあと始めた他のバイトのときも、給与振込みのためにカミングアウトしましたが、普通に対応してくれました。
きちんと誠意を持って働こうという姿勢があれば、理解を得られるものです。
ただ、場所によっては差別をされるところもあるみたいです。
理解してもらえるよう、自分になるべく非のないようがんばる姿勢で、一人一人理解してもらっていくことで、私たちの存在をアピールし、どこでも正しい対応をされるようになるといいなと思います。
嫌な気分で働きたくはないですからね。
2007年01月08日
2007年の抱負/小松
あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。
個人的な今後の抱負ということで、
2007年の目標としましては、「本気」でいこうと思います。
昨年末に、色々とテレビ番組を見たりして、 感動することが多々ありました。
一生懸命やること、最後まで貫くこと。
実は今年も大殺界で、ここ1,2年自分が自分でないような、
そして人間らしくないようなそんな生活を送って来たわけですが
昨年末から今年にかけて、やっと希望が見えてきた次第です。
自分のなすべきこと、やりたいこと(かっこよく言えば「使命」)をやっとのことでつかめるような、そんな気がします。
精神面で言えば、ほんの少し、人間というものが分かってきました。
完璧でないこと、けれど、限りなく完璧に近づく意思、気持ち、努力が感動を生むこと。
それが「生きる」ということではないかと感じています。
それは皆分かっていることなのかも知れないし、 とても当たり前のことかも知れないけれど、
僕にとってはやっと実感でき納得でき始めたことです。
今年はもっと、「生きる」ことについて深めていきたい。
自分がもっともっと人に感動を与え、そんな自分が大好きになりたいと思います。
最期に息を引き取るときに「俺の人生は最高だった」と言いたいが為に。
GIDmediaにておいても同様、出来る限り自分の力を出していきたいと思っていますが、
GIDである・なし以前の、「人として」自分を認めてもらう為に今年も躍進していきたいと思います。
今年も宜しくお願いします。
個人的な今後の抱負ということで、
2007年の目標としましては、「本気」でいこうと思います。
昨年末に、色々とテレビ番組を見たりして、 感動することが多々ありました。
一生懸命やること、最後まで貫くこと。
実は今年も大殺界で、ここ1,2年自分が自分でないような、
そして人間らしくないようなそんな生活を送って来たわけですが
昨年末から今年にかけて、やっと希望が見えてきた次第です。
自分のなすべきこと、やりたいこと(かっこよく言えば「使命」)をやっとのことでつかめるような、そんな気がします。
精神面で言えば、ほんの少し、人間というものが分かってきました。
完璧でないこと、けれど、限りなく完璧に近づく意思、気持ち、努力が感動を生むこと。
それが「生きる」ということではないかと感じています。
それは皆分かっていることなのかも知れないし、 とても当たり前のことかも知れないけれど、
僕にとってはやっと実感でき納得でき始めたことです。
今年はもっと、「生きる」ことについて深めていきたい。
自分がもっともっと人に感動を与え、そんな自分が大好きになりたいと思います。
最期に息を引き取るときに「俺の人生は最高だった」と言いたいが為に。
GIDmediaにておいても同様、出来る限り自分の力を出していきたいと思っていますが、
GIDである・なし以前の、「人として」自分を認めてもらう為に今年も躍進していきたいと思います。
2006年12月03日
12月テーマ「親へのカミングアウト」/小松
親へのカミングアウト。
このテーマは重たいですね。同じ悩みを持った人間なら必ずと言っていいほど通らなくてはならない、一番辛い出来事かもしれません。
僕の経験談を致しますと、親に真剣にカミングアウトをしたのは20歳くらいの頃でした。親に手紙を書いたんです。
「話さなければならない事がある。けれど勇気が出ないから少し自分と向き合うためにカウンセリングに通っている。心配しないで少し時間を下さい」
こんな内容だったように思います。
親としては、子供がこんな内容の手紙を書いてきたらビックリしますよね。案の定、「なにがあったんだ!?」ということで電話がかかってきました。
もう少し時間がほしかったのは本音で、手紙でそんな事を書いた自分が間違ってたと、後になって反省しました。
そのかかってきた電話で、初めて、真面目にカミングアウトをしたんです。
「自分は性同一性障害で、本当は男だと思ってる。手術までして男としていきたい」と。
小さい頃から僕は泣き虫だったのですが、そのときもまくし立てられるような聞き方をされてしまったし、手紙のことを反省したのもあって、泣きながらのカミングアウトでした。
電話の向こうで母親が自分を罵声する声もあまり耳に入ってこないくらい、頭の中が真っ白でした。
父親もなぜか電話の向こうで「許さんぞ!!」と叫んでて。
その時は「もう一度考え直すように」と言われてすごすごと引き下がったんです。
でも、カウンセリングにはきちんと通っていたし、そういうことを主治医に話してみました。
担任のカウンセラーにもお話しました。
それで、その数ヵ月後に、もう一度、そういったお互いが興奮状態にならない状況でカミングアウトをさせてもらう機会を設けてもらい、改めてカミングアウトしました。
その時は冷静に、きちんと伝える事もできましたが、親としては、まだ信じられないといった感じでした。
その後何回も話し合いを繰り返してきました。
母親は何度も葛藤した様子で
時々電話をかけてきては、まだ信じられないといってみたり、理解してみる、と言ってみたり、心が揺れ動いている様子でした。
それがある日、悲しくも生まれてこられなかった僕の兄の話になり「あの子が生まれてきたかったんだね。あんたの身体をかりて生まれてきたかったんだね、生きたかったんだね」と言われました。
それから、僕はなんとなく、自分の中に二つの魂を貰ったような、そんな気持ちでココまで生きてきました。
親へのカミングアウトは、正直な話、とても難しい事だと思います。切っても切れない縁の人には怖くてなかなか言えないと思います。言わないと言う選択肢も考えられます。
ただ、僕はずっと偽り続ける事ができなかっただけなんです。
自分が楽になりたかったから、自分を自分として認めてほしかったから、小さな勇気を振り絞りました。
これからカミングアウトしようとしている人たちへ。
言う段取りは、少し考えて、親のショックを和らげてあげる方法をさがしてあげてください。
カミングアウトをすればいつか必ず、わかってくれる日が来ると思います。
親は、いつまでも自分の親ですから。僕個人の意見としては、言ったほうが楽になるような気もします。
でもこれは各個人の責任の上にあり、それぞれの事情があると思います。これ以上は、なんともいえません。
今では、両親ともに僕の事をある程度認めてくれるようになっています。
未だに名前は昔のままで呼ばれてますが、 死ぬまで一緒に背負って理解しようとしてくれている親には感謝しています。
このテーマは重たいですね。同じ悩みを持った人間なら必ずと言っていいほど通らなくてはならない、一番辛い出来事かもしれません。
僕の経験談を致しますと、親に真剣にカミングアウトをしたのは20歳くらいの頃でした。親に手紙を書いたんです。
「話さなければならない事がある。けれど勇気が出ないから少し自分と向き合うためにカウンセリングに通っている。心配しないで少し時間を下さい」
こんな内容だったように思います。
親としては、子供がこんな内容の手紙を書いてきたらビックリしますよね。案の定、「なにがあったんだ!?」ということで電話がかかってきました。
もう少し時間がほしかったのは本音で、手紙でそんな事を書いた自分が間違ってたと、後になって反省しました。
そのかかってきた電話で、初めて、真面目にカミングアウトをしたんです。
「自分は性同一性障害で、本当は男だと思ってる。手術までして男としていきたい」と。
小さい頃から僕は泣き虫だったのですが、そのときもまくし立てられるような聞き方をされてしまったし、手紙のことを反省したのもあって、泣きながらのカミングアウトでした。
電話の向こうで母親が自分を罵声する声もあまり耳に入ってこないくらい、頭の中が真っ白でした。
父親もなぜか電話の向こうで「許さんぞ!!」と叫んでて。
その時は「もう一度考え直すように」と言われてすごすごと引き下がったんです。
でも、カウンセリングにはきちんと通っていたし、そういうことを主治医に話してみました。
担任のカウンセラーにもお話しました。
それで、その数ヵ月後に、もう一度、そういったお互いが興奮状態にならない状況でカミングアウトをさせてもらう機会を設けてもらい、改めてカミングアウトしました。
その時は冷静に、きちんと伝える事もできましたが、親としては、まだ信じられないといった感じでした。
その後何回も話し合いを繰り返してきました。
母親は何度も葛藤した様子で
時々電話をかけてきては、まだ信じられないといってみたり、理解してみる、と言ってみたり、心が揺れ動いている様子でした。
それがある日、悲しくも生まれてこられなかった僕の兄の話になり「あの子が生まれてきたかったんだね。あんたの身体をかりて生まれてきたかったんだね、生きたかったんだね」と言われました。
それから、僕はなんとなく、自分の中に二つの魂を貰ったような、そんな気持ちでココまで生きてきました。
親へのカミングアウトは、正直な話、とても難しい事だと思います。切っても切れない縁の人には怖くてなかなか言えないと思います。言わないと言う選択肢も考えられます。
ただ、僕はずっと偽り続ける事ができなかっただけなんです。
自分が楽になりたかったから、自分を自分として認めてほしかったから、小さな勇気を振り絞りました。
これからカミングアウトしようとしている人たちへ。
言う段取りは、少し考えて、親のショックを和らげてあげる方法をさがしてあげてください。
カミングアウトをすればいつか必ず、わかってくれる日が来ると思います。
親は、いつまでも自分の親ですから。僕個人の意見としては、言ったほうが楽になるような気もします。
でもこれは各個人の責任の上にあり、それぞれの事情があると思います。これ以上は、なんともいえません。
今では、両親ともに僕の事をある程度認めてくれるようになっています。
未だに名前は昔のままで呼ばれてますが、 死ぬまで一緒に背負って理解しようとしてくれている親には感謝しています。
2006年11月06日
11月「制服・体育着」/小松
【制服・体育着】
そうですね・・・僕基本的に制服は中学の時しか着なかったんですよ。
というのも、小学校は普通の公立だったから私服だったし。
高校も私服だったもので。恵まれてる方だったんだろうな。
なので、中学時代に話が集中することになるんだけれども。
さすがに制服は着なきゃまずいだろうなと思いつつも
納得いかなくって。
親に懇願しましたね。学ラン着せてくれ!!と。
まぁ案の定無理でした。ですよね。そりゃそうだ。
仕方なく、かわいらしいジャンパースカートを着ていきました。
でも、体育のある時は下にジャージとか着てごまかしてました。
うん、きっとみんなもやってると思うけど。
体操着はブルマでしたよ。ハミパンが恐かったですねぇ。
でもさー、アレ考えたやつ、馬鹿じゃないのかと思うけれども。
完全に性的欲求でしょ・・・と(笑)
小学校の時はセクハラしてくる先生がいたので、
僕はその時間はものすごく苦痛だったですねぇ。
ただ、あまり何も考えてなかったんで、長ズボン(冬場は寒いから許可されてたんで)はいたりしてました。
中学校の時が一番いやだったかなぁ。厳しいでしょ、あのころって。
先生も恐かったんで。
バスケ部だったんで、ブルマじゃなく、バスケ部のはいたりしてました。
まぁ、脱げって言われてましたけど。もう半分くらい記憶が無いなぁ(笑)
その時々によって対策を自分で考えて
それなりに自分の中でなんとか心を持たせようとする事って
別に普通の人でもあることだと思うんですよ。
バイトの制服にしても上司に相談するとか
学校の制服はチョット難しいかもしれないけど
言ってみると意外とすんなりいくかも?
自分の希望通りになる事は少ないかもしれないけれど、
自分の希望を言ってみる勇気っていうのを
これからの人たちは持って欲しいですね。
そうですね・・・僕基本的に制服は中学の時しか着なかったんですよ。
というのも、小学校は普通の公立だったから私服だったし。
高校も私服だったもので。恵まれてる方だったんだろうな。
なので、中学時代に話が集中することになるんだけれども。
さすがに制服は着なきゃまずいだろうなと思いつつも
納得いかなくって。
親に懇願しましたね。学ラン着せてくれ!!と。
まぁ案の定無理でした。ですよね。そりゃそうだ。
仕方なく、かわいらしいジャンパースカートを着ていきました。
でも、体育のある時は下にジャージとか着てごまかしてました。
うん、きっとみんなもやってると思うけど。
体操着はブルマでしたよ。ハミパンが恐かったですねぇ。
でもさー、アレ考えたやつ、馬鹿じゃないのかと思うけれども。
完全に性的欲求でしょ・・・と(笑)
小学校の時はセクハラしてくる先生がいたので、
僕はその時間はものすごく苦痛だったですねぇ。
ただ、あまり何も考えてなかったんで、長ズボン(冬場は寒いから許可されてたんで)はいたりしてました。
中学校の時が一番いやだったかなぁ。厳しいでしょ、あのころって。
先生も恐かったんで。
バスケ部だったんで、ブルマじゃなく、バスケ部のはいたりしてました。
まぁ、脱げって言われてましたけど。もう半分くらい記憶が無いなぁ(笑)
その時々によって対策を自分で考えて
それなりに自分の中でなんとか心を持たせようとする事って
別に普通の人でもあることだと思うんですよ。
バイトの制服にしても上司に相談するとか
学校の制服はチョット難しいかもしれないけど
言ってみると意外とすんなりいくかも?
自分の希望通りになる事は少ないかもしれないけれど、
自分の希望を言ってみる勇気っていうのを
これからの人たちは持って欲しいですね。
2006年10月02日
10月のテーマ「初めてのカミングアウト・違和感への気づき」/小松
僕自身が「性同一性障害」という言葉を知ったのは19歳のころでした。
その前には「性転換」という言葉は知っていたし、
高校三年生のときにいた彼女に
「将来は性転換する」みたいなことを口走っていたわけですから
そのときにはもうすでに、自分の中で答えは見つかってたんだろうなと思います。
はじめに自分がどうも、周りが思ってる性と違うようだと感づいたのは
幼稚園のころでした。
どうしてもワンピースの水着に納得いかなかったんですね。
まぁ、子供ですから流されるまま着てましたけど
水着で入るプールよりも、パンツ一丁で入れるビニルプールのほうが好きでしたね。
そのころから割と違和感みたいなものはあったんじゃないかな〜と今考えると思います。
母親は、スカートをはかせたがってたんですけど、
僕が嫌がるのでキュロットをたくさん買ってきてくれましたね。
それならパンツだからっということで割とよくはいてました。
まぁこれはまたの機会にじっくりお話しすることとして。
19歳の時にネット上で「性同一性障害」という言葉を知ってから
それまで結構もやもやして表せてなかった感情が
はっきりしたような感じで。
あ、これ自分だ、ってすぐに気づきました。
その言葉を知る前は自分は同性愛者なのかな〜と思ってて。
でも同性愛者のコミュニティにいると、
僕らみたいなのはあまり好まない人もいるんですよ。
まぁ、仕方ないですよね。
女子が好きな女子の集団に男子が混ざってるわけですしね。
飛んで火にいる夏の虫なかんじだったわけで(笑)
初めて仲間(彼女及びセクシュアルマイノリティ仲間)以外にカミングアウトした相手は確か友達でした。
当時の彼女と共通の友達だった気がする(あんまり覚えてないな〜)
でもそのときの反応は
「あ、そうなんだー」ってそのくらいだったんですよね。
「だよね」みたいな。
なんか拍子抜けしちゃいますよねぇ。
自分は勇気を持って「自分、こんなんなんです」って告白してるのに
「あ、そう」で終わっちゃうのって。
でも逆にそれってありがたいと思うんですよ。
自分で言わなくても周りはわかってたということですから。
その上で、自分という人間を認めて付き合っててくれたわけだしね。
だから僕は結構人間関係は恵まれてる方なのかもしれないな〜なんて自負してます。
いろいろ言われたりする時もあるかもしれないけど、
それで離れてっちゃったりするような友人だったらね
いらないですよ。
じゃあ、あんたは俺のどこを見て友達になったんだっつう話で。
言わなくてもいい相手と言ってもいいかなっていう相手を
見極めていかないと馬鹿を見ますけど
やっぱ、大事な人には、さりげなくカミングアウトできるといいですよね。
構えると向こうも構えちゃうしね。
だからさらっと「なに言ってんだよ〜俺男だからさ〜」って言えちゃう勇気を持てると、
気持ちは楽になるよなぁって思います。
余談ですが、僕はその勇気をつけるために(といっては変だけど)
大学のゼミ全員の前でカミングアウトしました。
全員敵にまわすつもりで。
でも、みんな妙に興味持って接してくれたんですよね。
案ずるより産むが安し、なのかも知れません。
その前には「性転換」という言葉は知っていたし、
高校三年生のときにいた彼女に
「将来は性転換する」みたいなことを口走っていたわけですから
そのときにはもうすでに、自分の中で答えは見つかってたんだろうなと思います。
はじめに自分がどうも、周りが思ってる性と違うようだと感づいたのは
幼稚園のころでした。
どうしてもワンピースの水着に納得いかなかったんですね。
まぁ、子供ですから流されるまま着てましたけど
水着で入るプールよりも、パンツ一丁で入れるビニルプールのほうが好きでしたね。
そのころから割と違和感みたいなものはあったんじゃないかな〜と今考えると思います。
母親は、スカートをはかせたがってたんですけど、
僕が嫌がるのでキュロットをたくさん買ってきてくれましたね。
それならパンツだからっということで割とよくはいてました。
まぁこれはまたの機会にじっくりお話しすることとして。
19歳の時にネット上で「性同一性障害」という言葉を知ってから
それまで結構もやもやして表せてなかった感情が
はっきりしたような感じで。
あ、これ自分だ、ってすぐに気づきました。
その言葉を知る前は自分は同性愛者なのかな〜と思ってて。
でも同性愛者のコミュニティにいると、
僕らみたいなのはあまり好まない人もいるんですよ。
まぁ、仕方ないですよね。
女子が好きな女子の集団に男子が混ざってるわけですしね。
飛んで火にいる夏の虫なかんじだったわけで(笑)
初めて仲間(彼女及びセクシュアルマイノリティ仲間)以外にカミングアウトした相手は確か友達でした。
当時の彼女と共通の友達だった気がする(あんまり覚えてないな〜)
でもそのときの反応は
「あ、そうなんだー」ってそのくらいだったんですよね。
「だよね」みたいな。
なんか拍子抜けしちゃいますよねぇ。
自分は勇気を持って「自分、こんなんなんです」って告白してるのに
「あ、そう」で終わっちゃうのって。
でも逆にそれってありがたいと思うんですよ。
自分で言わなくても周りはわかってたということですから。
その上で、自分という人間を認めて付き合っててくれたわけだしね。
だから僕は結構人間関係は恵まれてる方なのかもしれないな〜なんて自負してます。
いろいろ言われたりする時もあるかもしれないけど、
それで離れてっちゃったりするような友人だったらね
いらないですよ。
じゃあ、あんたは俺のどこを見て友達になったんだっつう話で。
言わなくてもいい相手と言ってもいいかなっていう相手を
見極めていかないと馬鹿を見ますけど
やっぱ、大事な人には、さりげなくカミングアウトできるといいですよね。
構えると向こうも構えちゃうしね。
だからさらっと「なに言ってんだよ〜俺男だからさ〜」って言えちゃう勇気を持てると、
気持ちは楽になるよなぁって思います。
余談ですが、僕はその勇気をつけるために(といっては変だけど)
大学のゼミ全員の前でカミングアウトしました。
全員敵にまわすつもりで。
でも、みんな妙に興味持って接してくれたんですよね。
案ずるより産むが安し、なのかも知れません。
2006年09月05日
9月テーマ「GIDmediaに対する想い&自己紹介」/小松
代表の陽介です。
まぁ、このブログでは、一ヶ月同じテーマで4人がいろいろと書いていくわけなんだけれども。
今回のテーマは、「自己紹介+団体に対する思い」ということで。
治療自体を開始して、4年。
パスをきちんとできるようになって3年。
自分の名前になって、1年。
10代のころはたくさん悩みました。20代でも別の意味で悩みました。
自分が思うようには進まなかったり、できなかったり、
親とけんかしたり、苦悩したりしてたくさん泣いて…
今は、自分らしく生きることはできるようになりました。
もちろん、理想の自分ではまだまだないし、いろいろと苦難はありますよ。それなりに。
ホルモンは打ちに行かなきゃ行けないし、トイレも立ってできないし、
温泉にはいけないし、冷や汗かく場面もある。
でも僕が生きてきて、今、思うのは「成せば成る、願えば叶う、認められないことはない」
自分は認められないと思ってる人って、
自分が自分自身を認めてないからなんだよなぁなんて思ったり。
この団体に関して、僕としては、僕ができることを残していきたいんですよね。
超個人的なことを言えば、僕の生きた証とか生きた跡を誰かが見てくれて、
それで勇気を持ってくれたり、逃げていたことに立ち向かったり
そういうふうに「活きて」くれれば、この団体の意味ってとても深くなると思うんですよね。
代表挨拶ではまじめに語ったから、ちょっと今回は僕自身の意見というか、
スタンスを紹介してみました。
まぁ、このブログでは、一ヶ月同じテーマで4人がいろいろと書いていくわけなんだけれども。
今回のテーマは、「自己紹介+団体に対する思い」ということで。
治療自体を開始して、4年。
パスをきちんとできるようになって3年。
自分の名前になって、1年。
10代のころはたくさん悩みました。20代でも別の意味で悩みました。
自分が思うようには進まなかったり、できなかったり、
親とけんかしたり、苦悩したりしてたくさん泣いて…
今は、自分らしく生きることはできるようになりました。
もちろん、理想の自分ではまだまだないし、いろいろと苦難はありますよ。それなりに。
ホルモンは打ちに行かなきゃ行けないし、トイレも立ってできないし、
温泉にはいけないし、冷や汗かく場面もある。
でも僕が生きてきて、今、思うのは「成せば成る、願えば叶う、認められないことはない」
自分は認められないと思ってる人って、
自分が自分自身を認めてないからなんだよなぁなんて思ったり。
この団体に関して、僕としては、僕ができることを残していきたいんですよね。
超個人的なことを言えば、僕の生きた証とか生きた跡を誰かが見てくれて、
それで勇気を持ってくれたり、逃げていたことに立ち向かったり
そういうふうに「活きて」くれれば、この団体の意味ってとても深くなると思うんですよね。
代表挨拶ではまじめに語ったから、ちょっと今回は僕自身の意見というか、
スタンスを紹介してみました。









